ラッセはちらりと隣へ視線をやった。
隣の座席では、が相変わらずラッセに対して無言で作業を行っている。
集中しているのか、リズミカルに指は動き続けている。
そのの前髪が少々濡れているのが、ラッセは気にかかっていた。
先ほどから、ちらりちらりと視線を送ってしまっている。
(・・・・・・何か、あったのか?)
沙慈・クロスロードのところへ行っていたのか、無言でブリッジへ戻ってきたはそのまま座席に座り、今に至る。
ミレイナはイアンとともに格納庫の方へ行ったのか、フェルトも未だ戻ってきておらず、ブリッジにはラッセとの二人だけ。
何となく、肌がちくちくするような沈黙が続いている。
何かあったのか、尋ねてもはぐらかされそうだし、何と尋ねればいいものかも分からず、ラッセは結局ちらちらと視線をに送るのみだ。
一段楽したのか、が置いてあったボトルを手に取った。
一口飲んで、はやっとラッセへ視線を向けた。
「何?」
「いや・・・・・・」
から話しかけてくるとは予想外で、ラッセは口ごもった。
それでもにしては珍しく、ここ最近常となっていた"完璧な笑顔"ではない。極自然なの様子に、ラッセは少し安心した。
「・・・・・・沙慈・クロスロードとかいうやつのとこへ行ってたのか?」
そう尋ねた瞬間、の瞳が翳った。
「あぁ、彼のこと・・・・・・とりあえず、様子だけでも見とこうかなって」
「何でまた?」
「・・・・・・いや、ちょっと気になったから」
億劫そうに言って、は手元のボトルを置いた。
面倒そうに髪をかき上げたに、ラッセは気になっていることを尋ねてみた。
「・・・何か、あったのか?」
「何かって、何?」
やはり聞き返された。
だが、最近見慣れていた壁を感じさせる笑顔ではなく、淡々とした自嘲を含んだの言葉だった。
どこか擦り切れたような、それでいて引き込まれるような、ラッセの聞き慣れたの声だった。
( それでも、やっぱり疲れてる・・・・・・のか?)
「・・・あの沙慈ってやつに、何か言われたのか? ・・・・・・何だか、疲れてるようだが・・・」
思ったままをそのままラッセは口にしていた。
が、目を見開いてラッセを見つめた。
「・・・・・・いや、俺の気のせいならいいんだが・・・何を言われても、が気に病むことじゃない」
自分を見つめ続ける紫の瞳に少々気恥ずかしくなって、ラッセは視線をから外した。
「・・・・・・俺たちと同じ想いを、あいつに理解しろというのは酷だと思う・・・今は、な」
自分を見つめるの視線を感じながら、ラッセは言葉を紡いだ。
「・・・だから、は、の思った通りにすればいいと、俺は思う」
(・・・・・・俺は何を言ってるんだ・・・?!)
言葉を紡ぎながら、ラッセは内心項垂れた。
が沙慈に傷つくようなことを言われたのでもなく、ましてや疲れてもいなかったら、ラッセの言葉はただの戯言だし、ラッセ自身もまるで道化師だ。
(・・・俺は、何を言いたいんだ・・・・・・?)
「・・・・・・・・・ありがと、ラッセ」
ぽそりと呟かれた言葉に、ラッセは驚いて振り返った。
右手で頭を支えるようにして、が顔を伏せていた。前髪に隠れて、その表情は読めない。
( 泣いてるのかっ!?)
表情は見えなかったが、そんな気がして、ラッセは慌てた。
慌てたが、どうしていいか正直分からなかった。
「・・・・・・?」
呼んだ声に、がくすりと笑う気配がした。
「・・・フェルトにも、ラッセにも、皆に心配かけて、ざまぁないね・・・・・・アタシは、悩むなんてガラじゃないのよ・・・」
そう言って、ふぅと一つ深く息を吐き出して、が顔を上げた。
涙は、見えなかった。
「・・・ありがと、ラッセ。アタシ、思った通りにやる。出来るとか、出来ないとかじゃなくて、思った通りに」
が笑った。
以前、二人で晩酌をしていたときに彼女がよく見せていた笑顔だった。
つられて、ラッセも微笑んだ。
「・・・それがいい。それが俺の知ってるだ」
「・・・・・・なら・・・ラッセはもう知ってるんだろうけど、アタシだって嫌いな人間と毎晩飲めるような器用な人間じゃないわよ?」
「 !!?」
今度は、ラッセが目を見開いた。
そんなラッセをちらりと見て、が、ふいっと顔を逸らせた。
「・・・・・・アタシだって、ラッセといる時間が心地好いのよ・・・知らなかった?」
そっぽを向かれたままだったが、の耳が赤い。
(・・・・・・マズイな、これ以上惚れたら・・・)
「 ・・・」
こんなにも、名前を呼ぶことが幸福だとは知らなかった。
ラッセの方を振り向いたの顔が赤い。
伸ばした手のひらが、の頬に触れた。
そのまま、アメジストの瞳を覗き込む。
ゆっくりと、長い睫に縁取られた瞼が下りて .
「・・・・・・・・・どうかされたんですか?」
「何してるです?」
フェルトはブリッジの扉を開けたところで立ち止まった。
その後ろから、ミレイナも顔を覗かせる。
自分たちに背を向けた状態で仁王立ちすると、反対側の壁に背を預けて座り込んでいるラッセ。
いつもとは少々異なるブリッジ内の雰囲気に二人は首を傾げた。
「・・・・・・いや、何でもない」
強かにぶつけた腰をさすりながら、ラッセは二人に苦笑いをしつつ、操縦席に座りなおした。
も、すとんと自分の席に腰を下ろした。
何事もなかったかのようにパネルに指を走らせているが、耳は真っ赤だ。
( 夢、じゃない、な・・・)
唇と唇が重なり合う当にその時、ブリッジの扉が開く音がした。
瞬間、が立ち上がりながら、ラッセを思いっきり突き飛ばした。
不意をうたれて、ラッセは思いっきり壁に背中をぶつける羽目になったのだ。
(・・・・・・危ないところだった・・・)
思い出して、ラッセは苦笑を浮かべた。
打った背中が痛むが、先ほどのことが現実だという確かな証拠のような気がして、ついつい頬が緩みそうになる。
「よく分からないけど、ラッセさんが少しおかしいです」
ミレイナが無邪気に笑いながら、自分の席に腰を落ち着ける。
「・・・何も無いならいいんですけど?」
フェルトも首を傾げつつ、ブリッジの自分の席に着き モニターを確認して声をあげた。
「王留美からの暗号通信です。人革領反政府勢力収監施設で 」
フェルトが息を呑んだ。
「 アレルヤ・ハプティズムを発見!!!」
「知ってるです! その人、マイスターさんです!!」
ミレイナも息を呑み、驚きの声を上げる。
「そうか・・・連邦に捕まってたのか・・・どうりで行方が分からないわけだぜ!」
ブリッジ内の空気を誤魔化すように、ラッセも声をあげた。
「フェルト、全員集めてくれ。ブリーフィングだ!!」
そう言って、ラッセは席を立った。
横を通るときに、さりげなくの肩に触れた。
まだ赤みを残すの耳が、とても愛おしく思えた。
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