「ラッセ、今いい?」

  声をかけようと顔を上げたフェルトは、咄嗟に口を噤んだ。

  「えっとぉ・・・・・・さん・・・?!」
  口を閉ざし損ねたミレイナが、怯えたように身を縮めた。

  それも仕方ない。
  は、明らかに怒っている。それも、相当に。
  ここ最近のが何故か苛立っているのは気付いていた。
  だが、それにしても       今ブリッジの一角に冷たい視線を向けている彼女は怖すぎた。

  「悪い、ちょっと待ってくれ」

  だが、トレミーの操舵席に座っている彼は、間の悪いことにシステム調整の真最中らしく、今すぐには手が離せないようだ。
  の瞳が剣呑な光を増す。
  彼女の周りの空気が怒気を孕んで膨張しているようだ。

  「・・・・・・話がある・・・外で待ってるから」
  怒りをぐっと押し込めて、はそれだけ言い捨てると、ブリッジを出て行った。


  扉が閉まって、ミレイナが体中の空気を抜くような大きな溜息を吐き出した。
  それほどの緊張感があった。
  フェルトも、いつの間にか強張っていた肩の力を抜いた。

  「よし! ・・・・・・ん? 何だ、もう行っちまったのか?」
  やっと振り返ったラッセが、困惑したように呟いた。
  の纏っていた空気との差に、ミレイナが椅子に倒れこんだ。


  「・・・・・・ラッセさん、さんを怒らせるようなこと、何かしたんですか?」
  「いいや・・・心当たりはないが・・・・・・」
  フェルトが思わず尋ねたが、ラッセは首を捻るばかりだ。
  ミレイナまでが、呆れたように口を尖らせる。

  「さん、相当怒ってたです! ぷんぷんです!!」
  「本当に、何も心当たりないんですか?」
  「きっと大目玉です! 間違いないです!!」
  「本当に、本当に、心当たりないんですね?!」
  オペレーター二人の勢いに、ラッセは苦笑を浮かべた。

  「最近のさん、何だか怖いです・・・いつも苛々してるです・・・・・・」
  「・・・・・・何か原因があると思うんですけど・・・・・・」
  聞き出そうにも、ここ最近のは声をかけられることすら拒んでいるようで。
  マリー・パーファシーとという二つの、まるで爆弾を抱えてしまっているような感じだ。

  「ま、怒られて済むことなら、それで済ませてくるさ」
  暗い表情の二人にそう嘯いて、ラッセはブリッジを出て行った。
  残された二人は、不安を隠せず、そろって溜息を吐いたのだった。











  ラッセは大きく息を吐き出した。
  目の前には、腕を組んで背を壁に預けている      .
  (・・・・・・楽しい話じゃなさそうだな・・・・・・)
  どう贔屓目に見ても、がこれから楽しく笑える明るい話を始めるようには思えなかった。

  「・・・で、どうした、?」


  出来るだけ明るい調子で尋ねたが、の纏う空気は改善せず、さらに悪化したような気がして、ラッセは途端に後悔した。


  「・・・・・・疑似GN粒子の影響・・・」

  の口から流れ出た言葉に、ラッセはとうとう来るべきものが来たのだと思った。
  どこで聞いたのかは知らないが、その事実をが知ってしまった。

  「・・・細胞の代謝障害、ってどういうこと?」

  ラッセを睨みつけながらが尋ねる。
  ラッセは、軽く肩を竦めた。
  「ああ。俺の体は、毒性のあるGN粒子に蝕まれてる」
  ラッセを睨みつけるの視線が鋭くなる。
  「・・・病状は?」
  「進行中。スメラギさんからは、トレミーを降りるように勧められたが、断った」
  「何で?」
  「休んでも、治るものじゃないからな」
  淡々と答えるラッセに、が喉の奥で唸る。

  「・・・何で、言ってくれなかったわけ?」
  「言おうと思ったさ。でも、なかなかタイミングが難しくてな」
  軽い調子で答えたラッセに、とうとうの怒りが爆発した。

  「何でよ!!? 何で、言ってくれなかったの!!?」
  組んでいた腕を解いて詰め寄るの視線を正面から受け止めて、ラッセは淡々と口を開いた。

  「言わなかったのは、俺が悪かった。スマン」
  「そんな言葉でっ!! そんなっっ!!!」
  「言い出せなかったことは謝る。悪かった」
  ラッセの言葉に、が唇を噛み締めた。
  を見つめて、ラッセは再び口を開いた。

  「言い訳するわけじゃないが・・・言い出せる雰囲気じゃなかった・・・
         なぁ、・・・・・・何をそんなに焦ってるんだ?」

  瞬間、が固まった。
  困惑ではなく、驚きよりも、の瞳に怯えを読み取って、ラッセはさらに尋ねる。

  「ここ最近、俺のこと避けてるよな・・・何でだ?」
  視線を外そうとするの瞳を、敢えて真正面から覗き込んで、ラッセは最近ずっと尋ねたかったことを口にした。

  「最近、妙に余所余所しいし・・・・・・俺のことが嫌いになったのか?」
  「・・・・・・そんなわけ、ない・・・」
  「だったら・・・最近、妙に苛々してるのは何でだ? 俺のせいじゃないのか?」
  「・・・・・・それは・・・・・・」
  言いかけた言葉を、は呑み込んだ。
  視線を落としたに、ラッセは僅かに自嘲の笑みを浮かべた。

  「言ってくれ、。嫌なら、俺は必要以上に係わらない。だから      
  不意に、の腕がラッセの体に巻きついた。

  「・・・ラッセがいない日常も、ラッセがいなくなるトレミーも、アタシは嫌だ・・・・・・!!」
  回された腕に力が入る。
  ラッセの胸に顔を埋めたまま、が喉の奥から言葉を搾り出す。
  「・・・今のアタシには、これが精一杯で・・・・・・それで不安にさせたなら謝るから・・・だから・・・・・・!!」

  愚鈍な脳ミソが、やっと言葉の内容を理解した。

  「苛ついてるのは、全部、アタシの問題で・・・・・・」
  「・・・・・・俺のせい、じゃないのか?」
  恐る恐る、抱きついている体に手を回した。

  「・・・俺のことが嫌いになったからじゃないのか?」
  拒否しないことを確かめて、しっかりとその体を抱きしめた。

  「・・・・・・・・・俺は、てっきり・・・・・・」
  「そんなわけ! どうして、そんなふうに・・・・・・」
  「・・・だったら。だったら、一人じゃなくて、俺も一緒に悩ませてくれないか・・・・・・?」
  抱きしめた腕の中で、が体を強張らせるのが伝わった。

  「が何に焦ってるのか、何に苛ついているのか、俺に教えてくれないか・・・・・・?」
  抱きしめた腕の中で、はしばらく黙っていたが、徐に呟いた。


  「・・・・・・・・・アタシはマリーに、ソーマ・ピーリスに苛立ってる・・・・・・」

  「?」
  は、ラッセの胸から顔を上げた。

  泣いていると思っていたラッセの予想を裏切って、はその顔に乾いた笑みを浮かべて呟いた。


  「・・・・・・ねぇ、父親殺しって、そんな糾弾されるほどの罪なの?」








     >> #18−3








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