ノックに返事を返す前に、扉を開けて入ってきた人物に、司令官は自ら呼んだとはいえ、僅かに眉を顰めた。
  気付いていないはずがないのに、その男は飄々と歩を進め、勧められてもいないのにソファに腰を降ろした。

  長い脚を遠慮なく伸ばして、案内してきた秘書に軽くウィンクなぞ寄越している。
  整った美形の誘いに顔を赤らめている秘書を追い出して、司令官は溜息とともに男に向かい合った。


  「・・・君は、状況というものを理解できないのかね?」
  「理解? するだけ無駄でしょ。受け入れる気は無ぇんだから」
  ニヤリと笑った男に、司令官は再び溜息を吐いた。

  地球連邦正規軍・情報部所属、カイウス・中佐       今は情報部に身を置いているが、元々はAEUのエースパイロットとして名を馳せた凄腕だ。
  再三のアロウズの召集・勧誘をのらりくらりとかわし続ける曲者だが、とうとうアロウズが痺れを切らしたらしい。
  上層部から回ってきた指示に不穏なものを感じて、当人を呼び出したのだが       司令官は溜息を吐いた。

  地球連邦軍は、アロウズに飲み込まれる運命にある。
  上の意向には逆らうことは出来ない。
  逆らえば、自分に対しても、カイウス・中佐に対するものと同じ主旨の指示が自分の上司に出されるだけだ。

  カイウス・       彼は優秀な男だ。
  しかし、上の指示に従わないものは、結局邪魔者でしかないのだ。
  司令官は、暗に示唆された命令を思い、もう一度溜息を吐いた。


  「溜息ばっかり吐いてると、老けるスピード速まるって、よく聞きますよ」
  楽しそうに唇を吊り上げる男に、司令官は頭を抱えた。
  「君は・・・・・・本当に、自分の置かれた立場を分かっていないんだな?」
  「何のことだか」

  「・・・・・・アロウズは、君を邪魔者と判断したようだ・・・もう、私でも庇い切れんぞ?」
  「何のことだか、さっぱり」
  言いながらも、ニヤリと笑う男に、司令官は深々と溜息を吐いた。

  「・・・君のことを、裏切り者にしたいようだ・・・・・・これは私からの忠告だ。派手な行動は控えたまえ」
  「嫌だな〜、俺はいつだって地味に地道に生きようと努めてんのに」

  「開発工場でGNドライブの紛失が起きたそうだが・・・」
  「そいつは大変っすね!」
  言葉とは裏腹に楽しくて仕方ない様子で、カイウスは大袈裟に顔を顰めてみせた。
  「責任問題っすね! 開発主任の!!」

  「・・・軍の内部で、軍に批判的な行動、思想を持った連中が、よからぬことを企んでいるという噂もある」
  「ほぉ!!」

  「・・・・・・君がその中心人物の一人だという噂が、実しやかに流れているのだが?」
  「どこから?」
  「ずっと上の方からだ・・・・・・上層部からは、君を単独任務に就かせようとする動きもある。これは、いったいどういうことだ?」
  ウンザリした司令官の言葉に、カイウスはまたもや大袈裟に腕を組んで首を捻った。
  「どういうことっすかねぇ、俺にはサッパリ。いっそのこと、さっきの秘書と一緒に、ホテルに籠もりましょうか?」
  「・・・やめてくれ。彼女は優秀なんだ。君と一緒に消されたくない」
  「うわ!! ひっでぇ〜、可愛い部下のことはどうでもいいんっすか?」
  「・・・殺しても死にそうにない、面の皮の厚いやつのことを、可愛いとは思えんよ・・・」
  疲れたように答えれば、目の前の優男は腹を抱えて笑った。


  「最悪の事態だけは、避けますよ」
  一頻声を上げて笑ってから、その笑いを収めてカイウスはニヤリと笑った。

  彼が言う最悪の事態、というのが何を指すのか       自分が職を失うことなのか、それともこの部屋の主が変わることなのか、まさか死体が転がることなのか・・・・・・目の前の男なら、それも想定しなければならないと思い直して、司令官は深く深く息を吐き出した。
  ついでとばかりに、先ほど上層部から極秘で回ってきた資料を、男に見えるように机の上に投げ出した。


  「・・・・・・君の妹さんのことも、話題になっているようだ」
  資料に目を落としたカイウスが不機嫌に眉を上げた。
  「死亡記事が?」
  「ああ・・・反政府勢力に加担していたために、秘密警察に極秘裏に消された、とね・・・まったく、秘密警察なんて、いつの時代だ・・・・・・」
  「・・・で、俺も反政府勢力に通じてる、と?」
  「信じてない人間の方が多いがね・・・・・・だが、どうやら上層部は、君の妹さんの過去を調べたようだ・・・」

  書類をめくったカイウスの瞳が、初めて険しさを宿した。

  「私も知らなかったが・・・・・・・・・これはAEU入隊時に君が揉消したのか?」
  「・・・・・・・・・胸糞悪ぃ」

  ギリリと唇を噛んだカイウスに、そこに書かれた内容が少なくとも大筋では嘘ではないと、司令官は長年の付き合いから感じた。
  となると、本当にこの部下を庇うことは難しくなったようだ。

  「レジーナ・・・・・・・過去にテロ組織の構成員だったとあるが      
  「そんな事実は無い」

  普段の飄々とした語り口からは想像もつかない低い声で遮った男に、司令官は思わず息を呑んだ。
  ギロリと書類から視線を上げた男に、思わず背中を冷や汗が流れた。
  昔の、まだ男がエースパイロットとして空を駆けていた頃を思い出させる迫力だった。

  「彼女がずっとテロ組織と通じていた可能性もゼロとは      
  「知りもしないで、勝手なことを言うな!!」
  珍しく声を荒げた部下に、司令官は今度こそ口を噤んだ。

  カイウスは書類を机の上に投げ出して、ソファから立ち上がった。
  さっさと出て行こうと扉に手をかけ、そこで舌打ちをして振り返った。


  「・・・あんたには世話になった。出来るだけ、迷惑はかからないように後始末しとく」
  「おい・・・・・・」
  呼びかけた司令官に再び背を向けて、カイウスは扉を開けた。
  顔を綻ばせかけた秘書が途中で表情を強張らせたが、その秘書に目をくれることもなく、カイウスは殺気を纏ったままその場を後にした。











  「ッ・・・くそッッ!!!」
  一人になって、カイウスは怒りのまま拳を壁に叩き付けた。
  壁に背中を預け、ずるずると座り込み、その頭を抱えて呻く。


  「・・・・・・まだ言われるのか・・・・・・・・!」

  脳裏に浮かぶのは、大切なたった一人の妹の姿       恐る恐る差し出した自分の指をギュッと握り締めた彼女。
  母の死を理解できずに泣いていた彼女。
  何度も離れなければよかったと後悔した、あの日、最後に自分に微笑みかけた彼女。


  「っくしょぅ・・・・・・・・・!!」

  あの日から、何度この言葉を繰り返しただろう。
  間違えて攫われたレジーナを取り戻す努力を、あの男は放棄した。
  自分と血の繋がった娘だというのにだ!
  詰め寄ったカイウスに、あの男は蔑むような視線を向けた。

        不満があるなら、力を持て。力無き者に、権利などない      .

  だから、自分は我武者羅にここまで来たのだ。
  誰もが諦めた彼女を諦めきれずに。

  だから、彼女が保護されたとき、本当に嬉しかった。
  心の底から喜んだのに、そこにいたのは彼女の抜け殻だった。
  真っ暗な瞳をした彼女に、微笑を失った彼女に、自分の力のなさを思い知った。

  悔しかった。
  悔しくて、悔しくて、本当なら感謝しなくてはならない人物に、思わず手をあげていた。
  もう二度と、あんな思いはしたくなかった。
  だから、強くなりたかった。誰よりも、何よりも      .


  「くそッ! ・・・・・・・・・結局、俺は、お前を守れやしないのか・・・・・・・」

  自嘲気味に呟いて、カイウスはポケットを探った。
  滅多に吸わない煙草を一本口に咥えて、深く深く、溜息を吐き出した。








     >> #15−3








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