「なぁ、・・・お前、覚えてるか?」
「?」
突然、張(チャン)に問われては首を傾げた。
「生憎、俺は覚えてない。だから、訊いてみるんだが・・・・・・」
喋りながら、張は撃鉄を起こした。
「・・・・・・自分が生まれた瞬間を覚えてる、というやつがいるらしい。お前は?」
「・・・・・・」
暫く考えて、は首を横に振った。それを見た張が微かに笑い、引鉄に指をかけた。
「まぁ、覚えていたからといって、人生何か変わるもんじゃないからな。むしろ、覚えておくべきは 死する理由ってやつだと、そう思わないか?」
張の問いかけと共に、銃声が響いた。
Goat , Jihad , Rock'N Roll PT.end (Meaning of YES)
念のため、頭を打ちぬかれた男の死体を確かめる 大丈夫、ちゃんと死んでる それを確認し、は立ち上がった。
男の売っていた銃で、男の頭を撃ちぬいた張(チャン)は、すでに男だったものへの興味を失ったらしく、の後ろで高級煙草(ジタン)を燻らせている。
三合会(トライアド)は金義潘(カンイファン)の白紙扇(パクツーシン)である張自らが鉄槌を下すほどの相手ではなかった。
間抜なブルガリア人は、張の縄張りで許可なく武器を売っていた。それだけ。その件から派生した別の事件も、すでに片がついている。
香港からも指示されていない。それでも、張維新(チャン・ウァイサン)が自ら出張った。その意味は? おそらく、ただの気まぐれだろう、とは思っている。張維新も、事務所をヨルダンまで吹っ飛ばされて、黙っていられるほど腑抜けてはいなかった、ということだろう。
の鼻孔を、張の高級煙草の香りが擽る。
漂う血生臭い臭気の中で、ふっと触れるその香に、記憶の底に沈んでいる光景が溢れ出しそうになる。
は張を振り返った。
サングラスも、ポマードで撫でつけられた艶髪も、漆黒のロングコートも闇に溶け、純白のマフラーが目に鮮やかに翻る そこに立つ男の存在を強く感じる、まるで胸が締め付けられるように あの日と同じ光景だった・・・・・・
「大哥(タイコウ)! それ以上は危険です!!」
「なに、問題ないさ・・・俺に何かあるわけがない」
目を開ければ、汚れたコンクリの床に似合わない黒光りする革靴。その足元の床の染みが血痕であることに思い至る 私のか、それとも、私が殺した誰かのか .
「・・・いくら何でもやりすぎじゃないか? 生きてるのか、コレ・・・?」
「しぶとい奴なので、問題ありません。おい、起きねぇかっ!!?」
怒声とともに、顔に一発入った。そのまま、髪を掴んで顔を上げさせられる それを待っていた。髪を掴んでいた男、その喉を狙って口を開く。
「いっっっ!!!!!?」
「・・・・・・・・・チッ」
残念ながら、男の喉を食い千切ってやることは叶わず、思わず舌打ちが漏れた。
首筋から一筋流れた血を拭って、男が拳を振り上げる。
「・・・てめぇ!!いい加減にしやがれっ!!!」
怒鳴りながら振り下ろされた拳に、両手足を拘束する鎖が耳障りな音を立てる。振るわれる拳を受けても、倒れることは叶わず、ただ耐えるしかない。
捕まれば、こうなることは分かっていた。こいつらの仲間を殺したんだ、何人も何人も何人も そこにどんな理由があろうとも、彼らは仲間を殺した者を決して許しはしない .
「・・・・・・その辺にしとけ。本当に死んじまうぞ?」
声のした方に顔を向ければ 暗闇の中で浮かび上がる鮮やかな白 それが肩にかけられた純白のマフラーだと気付いたのは、その主が煙草を吸うためにライターの火を点けたからだ。
暗闇に灯った火に照らされた顔に浮かぶ、場違いな、しかし邪気のない涼しげな微笑 誰だ? 血の臭いに慣れきっていた嗅覚を刺激する、微かな高級煙草(ジタン)の香りに疲弊しきった脳が緩やかに動き出す。
「・・・・・・・・・へぇ、いい目をしてるな"黒狼"」
煙草を燻らせながら、サングラスをかけた伊達男が言葉を紡ぐ。
「さて、と・・・・・・一つ訊こう。何故、李老子を殺した?」
「・・・・・・・・・」
「てめぇ、いい気になるなよっ!!!」
口を閉ざしたままでいることに腹を立てたのか、男が再び拳を振り上げる。
「待て・・・・・・だんまりか・・・まぁ、いい」
「大哥!!こんな奴、さっさと殺っちまいましょう!!」
制された男が、いらいらと口調も荒く伊達男に言い募る。
「鉄槌を下すべきです!!こいつは、李老子にかけてもらった恩も忘れて 」
「 忘れたのは、お前の方だ」
静かな声に、男が息を詰めた。今まで沈黙を決め込んでいた、その口を開き、血を滴らせながら、男を睨む この視線で、この男の息の根をとめられるならば .
「李老子の恩を仇で返した。鉄槌を下ろされるべきは、殺されるべきは、お前の方だ」
「う、嘘を言うな!! 嘘です、大哥!! こんな奴の言葉など、信用できません!!」
煙草の煙をくゆらせながら、伊達男はサングラスを外した。サングラスの下の顔が、思いの他若くて驚いた 男の態度から、幹部かと推測して、それならもう少しオヤジだと勝手に思っていた .
「俺は、どちらでも構わない。大事なのは、俺が世話になった李老子が殺されたということだ・・・もちろん、殺した奴には、それ相応の報いってやつを受けてもらわなきゃならんが、な?」
「ッ くそったれぇ!!!!!!」
叫んだ男が拳銃を抜いた。だが、その拳銃が伊達男に向く前に、男は床に崩れ落ちた。
風穴を開けられた頭から、大量の血液が床に広がっていく。
その血溜りを踏み越えて、黒光りする革靴が近づいてくるのを、ただ見つめていた。
「さて、と・・・・・・"黒狼"、お前は李老子を殺したか?」
「いいや・・・李老子は尊敬に値する人だった」
「同感だ・・・・・・まったく、因果な商売だよ・・・」
邪気なく笑った伊達男の目の奥に、紛れもない悲しみを見つけてしまった。瞬間、胸が締め付けられるような気がした。
この男も、李老子の死を悼んでいる・・・この男に殺されるなら、それも受け入れられる .
敵討ちとはいえ、同じ組織の仲間を何人も殺したのだ。許されるはずがない。許してはならないのだ。
「・・・・・・さっさと殺せ・・・疲れた・・・もう、生きる理由がない」
「理由が必要か、"黒狼"?」
「・・・・・・私は死を運ぶ・・・敵にも、見方にも・・・・・・もう、大切な人が死ぬところは、見たくない・・・」
呟いて、瞳を閉じる。
出来るなら、そこで死んでいる男のように、一思いに殺して欲しかった。
「・・・"黒狼"・・・お前、名前は?」
「・・・・・・」
「、か・・・いい名だ が、お前、女だったのか? そんなナリしてるから、分からなかったぜ」
そう言って、伊達男が微笑んだ。
「、お前のその命、俺に預けてみないか?」
目を開ければ、飄々と笑う男が目の前にいた。
「・・・・・・名前も知らない相手に、預ける気はない」
「手厳しいな・・・俺は、張維新(チャン・ウァイサン)」
「・・・・・・張、維新・・・変な奴。仲間を殺した私を、助けるのか?」
訝しげに問い返せば、張(チャン)と名乗った男は、飄逸に肩を竦めてみせた。
「俺は、暗殺者"黒狼"よりも、、お前自身に興味が湧いた。理由はそれで十分だろう? これでも、人を見る目はある方だと思ってるんだがな」
「・・・・・・今、殺しておかないと後悔する・・・言っただろ? 私は死を運ぶ、と・・・・・・」
「関係ないな・・・そんなに不安なら約束してやる。俺は、そう簡単には死なん。俺が何処まで上れるか、見届ける気はないか、?」
そう言って、張は両手足を拘束していた鎖へと手を伸ばした。
「ったく、女の子の扱いがなってないな、ここの連中は。後で、もう一発、鉛玉をぶち込んでおくか?」
「・・・・・・必要ない・・・無駄遣いだ」
の返答に、自らの手で拘束を外しながら、張は楽しそうに笑った。
風が吹き、血の臭いをどこかへ運び去る。薄まる臭気に、は伏せていた顔を上げた。
「・・・・・・いくぞ、」
「維新(ウァイサン)」
近づいて名前を呼べば、サングラス越しに何だと訊かれた。
「・・・やっぱり、覚えてる」
「?」
「今の私が生まれた瞬間」
「そうか・・・・・・」
それだけ言って、張(チャン)はを引き寄せた。
いっそう強く香る高級煙草(ジタン)の香りに、男の匂いに、月日が流れる程に惹かれていく、安らいでいく "安心できる"という感覚を知らずに生きて死ぬのだと思っていた。
「・・・・・・不思議」
「そうだな・・・・・・」
これ以上は望めない、同じものなど見えるはずもない二人だと知っている 刹那の二人だから、光など求めない世界で生きる二人だから、今がこんなに愛おしいのだろうか。
「、お前は、俺の傍にいればいい」
「・・・・・・ん」
小さく頷いたを、張はもう一度、強く強く抱き寄せた。