と出会ったのは、一年前 その季節何度目かの雪が舞った夜だった。
その日最後の配達を終えてバンに戻ろうとしたら、配達先の店の裏口で蹲っている人影を見つけた。
酔っぱらいだろうと思い、邪魔だなと考えながらその脇を通ろうとして、その人影が女性であることに気付いた。しかもその女性は、こんな雪が降る日にしては薄着すぎだった。コートも着ずシャツの肩は湿ってうっすら透けていたし、ストッキングを穿いた足は冷えたコンクリートに投げ出されていたし、髪にはちらちらと舞い落ちる雪がそのまま積もりかけていた。
「・・・・・・こんなとこで寝てると、凍死するぞ」
「大丈〜夫、問題なしっ!!!」
明らかに酔っぱらいらしい返答が返ってきて、鉄郎は溜息をついた。周りを見回してみるが、連れらしい人影も見当たらず、鉄郎はもう一度溜息をついた。
放っておいても自分には何も関係ない筈なのに、どうして自分は足を止めてしまうのか 性分としか言いようがない。
「・・・・・・おい、表通りでタクシー捕まえてやるから」
「ダメ〜、タクシー代まで飲んじゃった〜」
何が楽しいのか、からからと笑う女に鉄郎はもう一度溜息をついた。
「とにかく、こんなとこで寝てたら本当に凍死するぞ。ほら、立て」
そう言って、抱きかかえるようにして立ち上がらせようとしたが、女は鉄郎の手を煩わしげに振り払った。
自分の鱗に覆われた爬虫類の腕に抱えられるのは嫌だったかと思い、どうやって通りまで連れて行こうかと悩んだ鉄郎に、女が酒臭い息を吐いて命じた。
「歩ける!!肩だけ貸してくれれば、大丈〜夫!!!!」
言葉と同時に女の腕が伸びて、鉄郎の鱗が這う肩へと伸ばされる。鱗に触れた指が引っ込められることもなく、当たり前のように肩を借りる女に、鉄郎の口元に少々苦笑が浮かんだ。
「すいません〜、お手数おかけします・・・・・・」
突然しおらしい態度で、鉄郎に頭を下げる女を半分ぶら下げるようにして表通りまで連れて行く。ちょうど運よく止まっていたタクシーに、女を押し込めながら行き先を告げるように促せば、女の口から発せられた地名に千円札数枚で足りると判断して、鉄郎はポケットから紙幣を取り出した。
その手を、がしりと捕まれた。
「必ず、返すから。名前と・・・勤務先?」
問われるままに答えた鉄郎の顔を正面からじっと見つめていた女が微笑んだ。
「君、すっげー、綺麗な琥珀色の瞳だ〜」
突然の発言に暫し固まった鉄郎の前で、タクシーのドアが閉まった。走り去るタクシーのテールランプを眺めながら、明日からの生活費をどうしようかと悩んだ。とりあえず、食費は三嶋に頼ろう。そう決めて、バンへ戻った。
女がお金を返しに来るとは思っていなかった。綺麗だと言ったって、所詮は酔っ払ってのこと。明日になって正気に戻ったら、普通の反応をするに違いない。女性受けする容姿じゃないことは、とっくの昔に知っている。
やはり翌日、女は現れず、諦めとどこか納得したような気持ちでその日を終えた。
女のことなんてすっかり忘れかけていた、週末。一日の仕事を終えてイナホ酒店を出たところで声をかけられた。
「ゴメンね、あの後すっげー二日酔いでさ。返しに来るの遅くなっちゃった・・・悪かったわ、綺麗な瞳の鉄郎くん」
予想もしていなかった女の登場に、すっかり固まってしまった鉄郎に、女は笑って手を差し出した。
「この間は、ありがと。改めまして、と申します」
漸く差し出された手が、握手を求めているのだと気付いて、鉄郎は反応に困りつつ手を差し出した。初対面に近い人間から、握手を求められた経験など、皆無だった。
差し出された鉄郎の手を躊躇なく握って、は楽しそうに唇を緩ませた。
「仕事、終わったのよね?せっかくなら、一緒に飲まない?」
初対面に等しい普通の人間の女性から飲みに誘われるという、本日二度目の初体験に暫し固まってから、鉄郎は何とか頷くことに成功したのだった。
と知り合って、鉄郎が彼女について知ったこと 竹を割ったような性格で、豪胆に笑い、ユーモラスに喋るくせに、実は少々寂しがりやだということ。そのくせ、一人でどこへでも行きたがる変な奴。
両生類や爬虫類が好きな愛好家、というわけでもないこと(普通の女子よりはわりと平気めかもしれないが、"普通"の判断基準が曖昧なので何とも難しいところだ)。なのに、鉄郎の爬虫類の肌に嫌悪感を持たないらしい変わり者。
酒は結構飲めるくせに、実はあんまり酒が好きじゃないこと。そのくせ、時々初めて会った時のように泥酔するまで酒を飲むことがあること。
そして 泥酔するまで飲んだ翌日には、左の手首に包帯が巻かれていること それがリストカットの跡だと気付いて、それとなく探ったことがある。
は「あー、病気みたいなもん?あ、大丈夫よ、死ぬ気はないから」と妙に明るく笑いながら言ったのだ。
その言い方があまりにもざっくばらんな言い方で、結局鉄郎は「そうか。それならいい」と、後々振り返ってみるとよく意味の分からない相槌を打ったのだった。
なんとなく距離感をつかめなくなってきたに対して、三嶋やススキを紹介して四人でつるむようになったのは、この頃からだったと思う。それから四人で会うようになり、が泥酔するまで飲むこともなかったのだが あれは、あのの腕にあった爬虫類めいた皮膚はなんだったのだろう?
遺伝子改造の結果、というのは分かる。分かるが、理解できない。が口走った言葉も、理解できない。
結局何も理解できないまま、鉄郎はの携帯番号を呼び出しては発信のボタンを押せないままでいるのだった。