「食った食った〜、旨かった〜!!」
  女の子にしては随分と行儀の悪い言い方をしながら、が自身の腹を叩く。その親父臭さに今更突っ込む者はおらず、閂亭の昭和臭漂う建てつきの悪い引き戸を閉めて、三嶋がふらりと歩き出す。
  「じゃぁ、俺こっちだから」
  「おう、じゃぁな」
  地下鉄の駅を指し、そのまま去っていこうとする三嶋の背中に鉄郎も軽く手を挙げて見送る。
  「ではアタシも。じゃぁね、テッちゃん」
  「はちょっと待て。もう遅いから、送ってく」
  サイドドアに"イナホ酒店"とシンプルなロゴがペイントされた白いバンを指し示せば、一瞬彼女は固まって「・・・テッちゃん、明日は槍が降るかも・・・」と少々失礼なことを口にした。歩き出していた三嶋も立ち止まり鉄郎とを見て、肩を竦めた。
  「・・・・・・送り狼ならぬ送りオオトカゲなわけ?」
  「そんなんじゃねぇよ。三嶋も乗ってくか?」
  「あー・・・・・・いいわ。俺、今日は地下鉄の気分」
  暫く考えた様子で、しかし結局断って、三嶋は再び駅に向って歩き出す。三嶋の背中を見送りながら、一つ軽く息を吐いて鉄郎はバンに向って歩き出す。一度確かめるように振り返れば、少し遅れてがついてくる。左の袖口から一瞬除いた包帯に違和感の正体を見て、鉄郎はに気付かれないように再度そっと息を吐いた。











  「・・・・・・またやったのか?」
  静かな車内でぼそりと訊ねれば、ギクリとの肩が撥ねた。
  「・・・・・・・・・やってない」
  先程までの明るさが嘘のように黙りこくって助手席から窓の外へ視線を向けているが、小さな声で答えた。
  窓の外にはダーウィンズ・ヒルが、最近流行の青っぽいイルミネーションの光に浮かび上がっている。
  「・・・じゃぁ聞くが、左手首の包帯はどうした?」
  「・・・・・・リスカじゃない」
  呟かれたセリフに、鉄郎は「そうか」と呟いた。「それなら、いい」
  鉄郎の言葉の後を、沈黙が支配する。
  信号が赤に変わり、バンはゆっくりとスピードを落として停止線で止まった。
  「・・・リスカじゃなかったら、テッちゃんにとってどうでもいい?」
  助手席を振り返れば、冬空の下に綺麗だがどこか寒々しい印象を与える青い光を背に、の漆黒の瞳が鉄郎を見つめていた。黙ったままの鉄郎に、がもう一度口を開く。
  「リスカだって言ったら、テッちゃんは気にかけてくれる?」
  奇妙なほど感情を感じさせない口調と表情の中に、痛い程の視線の強さを持ってが鉄郎を見つめていた。
  鉄郎はから目を逸らした。青に変わった信号に従って、バンを発進させる。
  「馬鹿なこと言うな」
  「テッちゃんの馬鹿!!!」
  感情的な声とともに、鉄郎の鱗に覆われた肌に衝撃が来た。
  「おい、?!危ないから、止せって!」
  大した力ではなかったが、繰り返される衝撃に、思わず鉄郎は声を上げ、慌てて車を路肩へ寄せた。
  「危ないだろ!何だってんだ?」
  ハザードを出して車を止めても、は鉄郎の腕を拳で叩き続けていた。まるで駄々を捏ねる子供のように、叩くというよりは持ち上げた手を慣性のまま下ろすようなものだったが、それでもいい加減止めてもらいたくて鉄郎は振り上げられたの右手を受け止めた。
  想像していたよりも熱を持ったの右手に一瞬眉を寄せる。
  諦め悪くさらに鉄郎を叩こうと持ち上げられた左手首を掴んで、その感触に鉄郎は一層表情を険しくした。
  「・・・・・・おい。どういうつもりだ?」
  自分で思っていた以上に冷たい声が出た。びくりとが体を強張らせる。怯えた小動物のような瞳が、捕らえられた左手と鉄郎の間で揺れる。
  鉄郎を叩く衝撃に緩んでいた包帯を少しずらせば、そこから覗いたものをある程度予想していたとはいえ、声に憤りが混じるのを抑えられなかった。
  「・・・自分が何したのか、分かってんのか?」
  「・・・・・・分かってるわよ・・・もう、子供じゃないんだから・・・」
  「分かってない、お前は全然分かってない」
  頑なな子供のような態度で言ったに、鉄郎は包帯の下のものを突きつけた。
  「どうして、こんなもんに手を出した!」
  包帯の下に広がる、明らかに人間のものではない爬虫類めいた皮膚を突きつけた。
  「お前はコッチ側の人間じゃないだろっ!!」
  瞬間、傷ついたような目をしたに構わず、鉄郎は声を荒げた。
  「〈トランスジェニック・ジャンキー〉になりたいのかっ!!?」
  遺伝子改造中毒者     〈トランスジェニック・ジャンキー〉と呼ばれる者たちがいる。未認可の組換え遺伝子を体内に取り込んで自分自身を改造する人々     ジャンキーと呼ばれる所以はその常用性にある。組換え遺伝子は安定性に欠け効果が永続しないため、姿を維持するには一定間隔で遺伝子を取り込み続けなくてはならない。蓄積された遺伝子操作の副作用で身体機能に障害が出たり、運が悪ければ拒絶反応で細胞が崩壊して死に繋がる。それでも一度やり始めたが最後、彼らはドラッグ常習犯のごとく遺伝子を取り込み改造を繰り返すのだ。
  「お前は知らないんだ!トランスジェニック・ジャンキーの末路を     
  「・・・・・・・・・テッちゃんに近づきたかったから・・・」
  「     ?」
  「テッちゃんの側の人間になりたかった!!」
  叫んだは、ぽろぽろと透明な雫をその両目から溢れさせた。そんなから、ふっと鉄郎は視線を外した。
  「     無理だ」
  「     ?!」
  の目に絶望の影が差す。それでも鉄郎は残酷に言葉を紡いだ。
  「お前には分からない     俺にないものを持っているのに、普通の人間なのに、自分からそれを捨てるようなお前には、どう足掻いたって分からない。無理だ」
  助手席からは何も返ってこず、しゃくりあげるような嗚咽だけが狭い車内に漂う。
  「・・・・・・降りろ。駅ならすぐそこだ」
  がちゃりとドアが開く音がした。
  「・・・・・・・・・アタシは、テッちゃんと同じものが見たかったの・・・・・・」
  背中を向けたままが呟いた。しかし、鉄郎はその背中に視線を向けることも、言葉をかけることもしなかった。
  のろのろと地面に足を下ろし、後ろ手にがドアを閉める。ふらふらと車から離れたを残して、鉄郎は静かにバンのアクセルを踏んだ。
  バックミラーの中、が膝を抱えて歩道で泣き出す姿を視界から追い出して、鉄郎はバンを走らせた。
  ちらちらと白い雪が舞い落ちる中、の姿はイルミネーションの間に消えていった。






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