流しっ放しだった水を止めて、手を拭きながら、何だか静か過ぎることに気が付いた。
「・・・・・・キース?」
キッチンから顔を覗かせると、見えるはずの金髪が・・・いや、あった。
でも、それはいつもの位置よりも随分と傾いでいて。
「・・・・・・・・・?」
オーディオから流れる微かな音楽と、アタシが皿を洗う水音が混ざっていた部屋は、今は何の音もしない。
アタシが皿を片付け終わったことは、彼も気付いているはずなのに、振り返りもしないし、
「お疲れ、」っていう一言も、いつもの爽やかな笑顔もないなんて・・・・・・
不審に思いながら、金髪がはみ出したソファを覗き込んで・・・・・・思わず微笑んでしまった。
無防備な彼の寝顔。
「しぃー。起こしちゃ駄目だよ・・・」
彼の足下に寝転んでいたジョンが、アタシに気付いて声を上げようとしたのを、指を当てて制する。
賢いジョンは返事の代わりに尻尾をパタパタ振って、再び床に顎をつけて寝そべった。
「疲れてたんだよね・・・」
体半分をクッションに預けるようにして眠る彼。
足元で動いたジョンにも、アタシの声にも、起きる気配が全くない。
微かに聴こえるのは、彼の寝息。
前髪が影を落とす目元に、疲労を見つけてしまった気がした。
「最近、忙しかったから・・・」
隣の部屋からタオルケットを持ってきて、彼を起こさないように、そっとかける。
いつもなら気配に敏感な彼が、熟睡しているのか全く目を覚まさなかった。
ヒーローの日常は過酷だ。
それに加えて、夜は空から自主的に街をパトロールしている。
彼は本当に、ヒーローという仕事に誇りを持っている。
凄いなって思う。アタシには絶対真似出来ない。ううん、きっと彼以外の誰にも真似なんて出来ない。
「・・・お疲れ様・・・・・・」
そっと呟いて、アタシは部屋の照明を落とす。
それでも窓から差し込む街の明かりに、部屋が完全に暗くなることはない。
熟睡しているとは言っても、そこはヒーローだから、起こさないようになるべく音を立てないように気をつけながら、彼の横にペタリと座る。
眠たそうなジョンの背中を撫でてやって、アタシは眠る彼をじっと見つめた。
仄かな明かりに浮かび上がる彼の顔を見つめていたら、何故か、心地好いくらいの切なさと、胸が締め付けられるような幸福感が湧き上ってきた。
「・・・・・・キース」
今、アタシは彼を独り占めしてる。
ジョンもいるけど、アタシが彼を独り占めしてると言ってしまっていいだろう。
でも分かってる。
ヒーローである彼を自分だけのものにするなんて、そんなの不可能だ。
だから、今、この時だけで我慢しよう。
今だけ。今だけ、この部屋にあなたを閉じ込めて。
この世界に二人っきり そんな夢を見る。
アタシと、ヒーローじゃないキースだけ .
「・・・“ヒーロー”か・・・・・・」
“ヒーロー” 時々思う。
ヒーローが活躍しない世界の方が、きっと正常なんじゃないか、って。
ヒーローが感謝されるのは、この世界に傷ついてる人がいるからだ、って。
皆が皆、幸せだったら、ヒーローは必要ないんじゃないか、って・・・・・・
皆が幸せに暮らせる日が来るために、ヒーローは頑張ってる。
だけど、その日が来た瞬間から、ヒーローは必要ないんだ。
誰も傷つかない、平和な世界が出来たら、そこにヒーローは存在しないんだ。
もしも、そんな世界が実現したら、明日から平和な日々が始まったら、彼はどうするかな?
彼はヒーローであることを辞めるかな?
「・・・・・・まさか、ね」
溜息を吐いて、アタシ自身の馬鹿げた空想を否定する。
皆が皆、幸せに暮らせる日なんて、永遠に来ない。
誰も傷つかない世界なんて、永遠に実現しない。
だから、この街に神はいない。神の代わりに、ヒーローがいるんだ。
だから、今だけ。
今だけ、アタシは夢を見る。
ここには、世界には、アタシとキースだけ .
「・・・・・・・・・はは」
吐息で笑って、アタシはアタシの夢を打ち破る。
だって、駄目だ、きっと。
あなたは優しいから。
きっと、ヒーローが不要になった世界でも、ヒーローでいようとするんだろう。
きっと、皆が幸せに笑いあえる日が来ても、アタシにとってのヒーローでいようとするんだろう。
その姿を、何の違和感もなく想像できてしまう。
それが無性に哀しくて、愛おしい・・・・・・
「・・・頑張りすぎだよ・・・・・・」
耐えられなくなって、そっとキースの髪に手を伸ばした。
起こさないように、彼の眠りを妨げないように、そっと乱れた後れ毛に触れる。
微かに寄ったままの眉間が、彼のヒーローとしての重圧を語ってる。
何にも縛られず、自由に空を飛ぶことすら、もう無理なのかも知れない。
夢の中でも、彼はきっとヒーローのままなんだ。
「・・・・・・・・・せっかく飛べるのに・・・」
眠る彼は、起きているときよりも随分大人しい印象になる。
それはきっと、素直に感情を伝えてくる瞳が瞼に隠されてしまうから。
アタシは彼の穹を思わせる瞳が好きだ。
あの瞳に写る、彼の優しさが好きだ。
その優しさを湛える、彼の心が好きだ。
「・・・・・・夢の中ぐらい、自由に飛んでいいんじゃない?」
そっと、彼の耳元で、聴こえるか聴こえないか、ギリギリの声量で囁く。
もしかしたら、夢の中でも彼はヒーローかもしれないから。
彼は望んでないかも知れないけど、夢の中くらい、ヒーローじゃなくていい。
夢の中くらい、ヒーローじゃない、キース・グッドマンでいて欲しい。
ヒーローの使命感も、ランキングも、アタシのことも忘れていいから。
「大丈夫・・・ここは平和だから」
だから、何も気にせず自由に飛んでいいんだよ そっと彼の髪を撫でる。
アタシの声が、夢の中まで届いたはずはないけれど、彼の表情が少し穏やかになった気がした。
眠ってるときくらい、平和な世界でいて欲しい。
眠ってるときくらい、幸せな夢を見て欲しい。
きっと、明日もこの世界はヒーローが必要だから。
「・・・みんな、幸せだから」
だから、何も心配しなくて大丈夫だよ そっと彼の髪から手を離す。
この部屋に彼を閉じ込めて。
この世界に彼と二人だけ。
平穏で退屈なそんな夢をアタシは見る。
夢だけ。今だけ。
「いい夢を・・・・・・」
そっと額に、微かなキスを。
ほんの一瞬でも、彼が幸せな夢をみられるように。
触れるだけの、オマジナイ。
「おやすみ、キース」
夢の終りに口付けを
>>> 大好き あなた以外は不要なほどに
アトガキ
Photo by clef
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