「怪我は・・・怪我はない? 大丈夫なのよね?」
悪い知らせは、いつもどこか遠い。
無機質な場所でばかり聞いているように思うのは気のせいだろうか。
見上げても、目に映るのは人工的な明かりで、どこか寒々しい。これが眩しい太陽だったら、少しは衝撃的に受け止められるのだろうか。
【ああ。俺もライも大丈夫だ】
カイウスの言葉に、スイッチがやっと入ったように膝の力が抜けていく。
重力の導くままベンチに腰を落として、まるで心配しているかのような自分自身の態度を嘲笑う思考を自覚しながらも、思わず安堵の息を吐いていた。
「・・・よかった・・・・・・無事なら、本当に・・・・・・」
顔を抑えて呟く。
安堵で緩みかけた涙腺を食い止めるためなのか。
それとも、今更母親面をしようとする自分自身を嘲笑うのを隠すためなのか。
何故か湧き上ってきた乾いた笑いを押し殺して、は息を吐いた。
カイウスとライアンが、地球で多発している事件に巻き込まれた。
エウロパの破壊以降、無人の乗り物が暴走して人を傷つけたり、計器類が誤作動して人を襲ったりする事件が頻発している。
地球連邦政府はその原因を不明としている。
だが、たちはその犯人を知っていた。
地球外変異性金属体<Extraterrestrial Living-metal Shapeshifter> ELSと呼ばれる地球外生命体。
今分かっているのは、ELSは自在に変形できる金属で、寄生することが出来る、ということぐらいだろう。
先に破壊したエウロパの破片の一部に寄生して地球へ到達したそれらが、事件を起こした。
兄貴やライアンが遭遇したのは、ELSに寄生され操られた機械が引き起こしたものだ。
・・・・・・機械で良かったというべきだろう。接触されれば、その部分から結晶状の金属皮膜によって侵食されてしまう。
実際に、ELSに襲われ接触によって金属の塊と化し命を落とした者もいる。
もしもそんなことになっていたなら .
【心配なのは、お前の方だ、レジーナ】
カイウスの声に、は我に返った。
最悪の想像に、闇の中に落ちていくような錯覚をした。
気付けば、握った手が白くなるほどに通信機を握り締めていた。
微かに震えているのは恐怖のせいか 声が震えてしまわないように、はぐっと奥歯に力をこめた。
「・・・何のこと?」
語尾が微かに掠れた以外は、普段と同じ冷たい声が出せたことに、少し安堵する。
【ライアンは俺が守る・・・…だが、お前は? お前は誰が守る?】
真剣な兄貴の言葉に、一瞬息を呑んだ。
「・・・守られるほど子供でもないし、弱くもないわ」
【強がるな。人間、一人で生きていけるほど強く出来てねぇんだぜ?】
「・・・・・・一人じゃないわ。アタシには、ライアンもいる。兄貴もいる。アーサーだって、ソルブレイヴスだって 」
【その中に泣き言を言える奴は?】
「・・・・・・・・・」
【弱いところを曝け出せる奴は? 泣き顔を見せられる奴は? 泣きたいときに胸を貸してくれる奴は?】
「・・・・・・・・・・・・」
【そういう奴がいるのかって訊いてんだ。そういう奴を守って、護られて・・・そうやって人は生きてんだぜ?】
「・・・・・・兄貴は? 涙を見せられる人、いるの?」
【俺は男だからな。涙は見せねぇよ】
当たり前だと言わんばかりの口調に、は思わず苦笑を浮かべた。
「何それ? 自分だけ、卑怯じゃない?」
【あぁ? んなことねぇだろうが。俺はライとお前がいれば十分だ】
「ありがと。ライアンのこと、感謝してる」
【ライは俺の翼の下にいるが、お前は遠すぎる・・・…だから、心配なんだぜ、俺は】
カイウスの言葉に、は優しく微笑んだ。
手の震えは、いつの間にか治まっていた。
「・・・大丈夫。心配しないで・・・・・・アタシより、ライアンを護って。お願いします、兄さん」
【レジーナ・・・・・・ライアンと地球で待ってる。さっさと戻って来い】
「・・・・・・うん」
【じゃねぇと、ライアンに顔忘れられちまうぞ?】
「・・・そうだね・・・・・・ありがと」
呟いて、通信を切った。
まだカイウスが耳を傾けているのは分かっていたが、の方から通信を切った。
壁の座標計は通信規制宙域が近いことを告げている。
もうすぐ、火星圏だ。
は立ち上がり、ロッカーを開けた。
手際よく、パイロットスーツを身につけていく。
伸びた髪を一つに纏めていると、艦内通信が呼び出しを告げた。
服装に乱れがないことを確認して、はディスプレイの前に立ち、通信をONにした。
当然のように映し出された上官の姿に、サッと敬礼する。返礼後、彼は常と変わらぬ様子で口を開いた。
【少尉、作戦変更だ】
上官 グラハム・エーカー少佐の言葉に、は表情を引き締めた。
「変更とは?」
【友軍の援護・敵の殲滅から、護衛、もしくは救援へと変更だ】
グラハムの言葉に、は眉を寄せた。
「・・・先遣艦隊が墜ちたんですね?」
木星の大赤斑に存在するワームホールの出口から出現したELSは、地球へと接近を始めた。
その数は膨大で、地球連邦軍の何万倍にも及んでいる。
ELSが何の目的を持って地球を目指しているのかは知らないが、今、地球上でELSに寄生された機械が引き起こしている数々の事件を思えば、心穏やかではいられない。
地球へ接近するELSと火星圏にて接触を図るため、地球連邦軍は先遣艦隊を派遣した。
ELSと意思疎通を図るにしろ、排除するにしろ、地球を護るには火星圏での接触が最適だった。
先遣艦隊を追いかける形で、ソルブレイヴス隊にも出撃命令が出た。
もしかすると、グラハム自ら出撃を願い出たのかも知れない。この状況を予測しての出撃願いなら、さすがと言えるだろう。
悪い予想、悪い予感というものは、往々にして当たる。
先遣艦隊はELSと戦闘状態になり、最悪の結果となろうとしている。
【まだ勝機はある。間に合えば、だが】
そう言うグラハムの顔も厳しい。
ELSに対抗するのに有効な手を未だ人類は持っていないのだ。
接触部分から物質を取り込む能力を持っているELSに対して、実弾兵器を使用する場合には近接信管の使用などの対処が必要だ。この攻撃も、いつまで効果を与えられるかは未知数だ。
ELSは学習能力を有するようで、人類の攻撃を分析して無力化をし始めている。
さらに、取り込んだ戦闘兵器への擬態も確認されている。
どう冷静に見ても、人類の分が悪い。
「・・・持ち堪えてくれるでしょうか?」
【分からない・・・だが、我々は最善を尽くすのみだ】
「ええ。発進に備え、コックピットで待機します」
グラハムの言葉に答えて、は敬礼をし、通信を切ろうと手を伸ばした。
【 ソレスタルビーイングも行動を開始するだろう】
動きを止めたをじっと見つめたまま、グラハムは告げた。
【人類の危機に、彼らが黙しているはずがない】
「・・・・・・そうですね・・・」
【敢えて問おう。問題ないな、レジーナ・少尉・・・いいや、“女王”と】
再び震えだした手をぎゅっと握り締めて、はグラハムを見据えた。
ぐっと息を止めて、口を開いた。
「 問題ありません。何も。全ては過去ですから」
【・・・了承した。貴官の活躍を期待する】
切られた通信画面に映りこんだ自分の顔が、強張っているのがはっきりと分かる。
飛び続ければ、この世界にいれば、いつか出逢うこともあるだろうと思っていた。
寧ろ、逢うことを望んでいた。
同時に、逢うことを何よりも恐れていた。
相反する感情の狭間で、けれど自分はその可能性を完全に捨て去ることが出来なかった。
だから今、ここにいる。
本当は何よりも渇望している。彼の姿を、彼の声を、彼の腕を .
ガツッ
左腕から滑り落ちたヘルメットが、床にぶつかって立てた鈍い音に、は今自分がいる場所を思い出した。
「・・・・・・くそっ・・・」
何に向けてなのか、誰に向けてなのか、自分でも分からないまま呟いて、は震える手を握りしめた。
気を抜けば落ちていきそうな暗闇を、はぐっと堪えた。
もう慣れてしまった痛みを、いつものように押さえ込んで、は顔を上げた。
床に転がったままだったヘルメットを手に、は立ち上がる。
やるべきこと、自分に出来ることは限られている。
は愛機の元へ足を踏み出した。
外に広がる宇宙空間と、これから戦うことになるELSの群れと、遭遇するかもしれない元仲間たちを想って、は思わず自嘲的な笑みを浮かべて呟いた。
「・・・残り時間は、どれくらいあるのかしらね?」
serenade / 黒と赤に縋る より 「さあ審判よ我らに勝利と断罪を」
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