「肩を貸そう」
「平気・・・」
微かによろけた体を、それでも自分で立て直してレジーナ いいや。ここにいる間は、彼女が嘗てこの場所で呼ばれていたであろう名前で語ろう。・と は格納庫へと歩いていく。
だが、数歩進んだところで再び眩暈がしたのか、壁に手を付いて足を止めた。
「・・・やはり、手を貸そう」
そう言って伸ばした腕を、彼女は拒まなかった。
細胞異常に犯された体も、その精神もすでに限界だろう。
の体を支えながら、そう思う。
グラハムは、そっとの表情を確認した。
だが、その顔は泣いてなどいなかった。
有難い そう思った。
女性の涙ほど対処に困るものはない。だが の顔から視線を外して、グラハムは眉を寄せる。
だが、彼女はこの後、一人コックピットで泣くのだろうと思えば、グラハムの心に苦々しい感情が広がった。
彼女が、・が限界であることは、疑いようがないだろう。
その彼女に“戦うな”と言うのは簡単だ。
彼女をソルブレイヴス隊から外すことも。地球連邦軍を除隊させることも。
そうした場合、隊は大幅な戦力ダウンを強いられるし、軍にとっても大きな痛手だ。
だが とグラハムは思う。
・も、そして自分も軍人だ。
戦うことでしか生きられない。
戦いのその先を自分はあの少年に、刹那・F・セイエイに教えられた。
未来を信じて今は戦っている。
しかし、彼女はどうなのだろうか?
未来を思い描くだけの余裕もなく、夢を賭けるだけの時間も残されていない。
信じるものも、縋るものも、失いたくないものも、もう彼女には残っていないのではないのか?
だとしたら、がこのまま戦う意味とは そうだ。ライアン・だ。
グラハムはの息子のことを思い出した。
子供はいい グラハムは小さく微笑んだ。
その中でも、ライアンのことは特に気に入っている。
カイウス・の養子、ライアン・は、こんな自分にも懐き笑いかけてくれた。
あの小さく純粋な命の塊が、の希望の灯であることを願う。
もっとも最初、はライアンを手放すつもりだったらしいが だが、兄であるカイウスが半ば強引に自らの戸籍に引き取ったという。
自らの寿命を知っていたが、何を考え、何を憂い、どんな結論に達して、兄弟に告げずに一人で出産し、その子を手放そうとしていたのか、彼女自身が何も語らない故に推し量ることしか出来ないが .
再びグラハムは、そっとの表情を確認した。
やはり、辛そうではあるものの、泣いてなどいなかった。
“辛そうだ”というのも、彼女が平静を保とうとしている、その努力の綻びから見え隠れするほんの少しを読み取れるだけだ。
グラハムは、そっと溜息を吐いた。
贔屓目に見ていることを差し引いても、は一人で背負い込み過ぎなのではないだろうか?
彼女一人が苦しんでいるように思うのは、自分が部下を可愛がり過ぎているからなのだろうか?
もう忘れたと彼女は言っていたが、本当にそうなのだろうか? それでいいのだろうか?
誰もが過去を抱えて生きている。取り返すことの出来ない、すでに手遅れとなった過去と呼ばれる遺物 だが。もしも .
グラハムはから視線を外した。
例え無意味だと言われようと、自分が行動することは必ず何かに繋がるはずだと、グラハム・エーカーは静かに頷いた。
足掻くことは無様だろうか
着信を告げた艦内回線に、ブリッジで指示を出していたスメラギ・李・ノリエガは首を傾げた。
意識不明の刹那と、その傍についているフェルトを除く全員が、対ELS戦の準備に入っている。
今、艦内回線を使う人物も、使う理由も無いはずだ。
首を傾げながらも、スメラギは回線を繋いだ。
【すまない。通信を無断で拝借している】
通信画面に映ったのは、ソルブレイヴス隊の隊長、グラハム・エーカーと名乗った金髪の男だった。
その背景がコックピットなのは、出立待機中のため既に機体に搭乗しているからだろう。
だが、わざわざコックピットから直接回線を繋いできたグラハムに、スメラギは疑問を覚えた。
もしかして、他のソルブレイヴスの隊員、特にに聞かせたくない内容の話をするために .
【今回のこと、礼を言わせてもらいたい】
だが、グラハムの口から出たのはソレスタルビーイングへの謝辞だった。
の話かと期待していたスメラギは苦笑を浮かべて首を振った。
「・・・いいのよ。目的は同じなんだから」
【だが敢えて、有難うと言わせて貰おう。貴官等の好意に感謝する】
にこりともせずに告げられたグラハムの言葉に、スメラギは笑みを浮かべた。
「ご丁寧にどうも・・・あなたたちも気をつけて」
【そちらも。健闘を祈る】
「ええ。ありがとう」
頷くスメラギに、グラハムの言葉を聞いていたブリッジの面々も微笑を浮かべて頷いた。
グラハムがのことを語るつもりなら、場所を変えるか、回線を切り替えようかと思っていたのだが、それも杞憂だったようだ。
もう一度グラハムに頷いて、スメラギは回線を閉じようとした。
【ところで、ここからが本題なのだが 】
先ほどと変わらない、グラハムの真面目な碧眼がこちらを見つめている。
【 ラッセ、という者はいるか?】
皆の視線が、操舵席に座る背中に集まった。
ずっと何かを忘れるかのように作業に没頭し、係わりあうことを拒絶していた背中が溜息を吐いた。
皆の視線を背中に集めたまま、ラッセは黙って通信機に手を伸ばした。
「俺だ」
目の前の画面にグラハムの顔が映る。
向こうにも自分の顔が見えたのだろう。グラハムが僅かに眉を持ち上げた。
【ほぅ、貴様か・・・・・・一つ聞かせてもらいたい。貴様にとって・とは何だ?】
ラッセは努めて冷静さを保とうとした。
何の係わりもない。もう仲間でもなんでもない 浮かんだのは、の素っ気無い態度と、冷たい微笑だった。
「・・・意味が分からないな」
答えるラッセの口調が、自然と硬くなった。
【そんなはず無いだろう。彼女は貴様にとって大切な存在だったはずだ】
もう二度と会うことはないわよ 頭の中、の冷たい言葉が蘇る。
「・・・昔の話だ」
昔のことになったのだ。
【ほぅ・・・今は、大切ではないということか?】
ラッセ・アイオンに対する何の感情もないわ グラハムの真剣な瞳に、ラッセは理解した。
この男は、のことが好きなのだ。
だから .
【今は、何とも想っていないということか?】
もしかすると、二人はすでに恋人同士なのかもしれない。
だから .
【彼女のことなど、もう関係ないと、そう言うのだな?】
がトレミーを降りたのも それは疑いすぎか。
ラッセは自嘲を浮かべた。
「・・・・・・もう終ったことだ。今はもう、関係ない」
逸らされない碧眼を見つめ返しながら答えた。
【そうか・・・・・・分かった。話は以上だ】
しばらくラッセを観察していたグラハムが頷く。
どこか穴が開いたように心が軽くなった。
それを紛らわそうと、ラッセは唇を吊り上げてみせた。
「・・・幸せにな」
自分自身への皮肉か ラッセの口から思わず零れた言葉に、グラハムの眉が怪訝に寄せられた。
【幸せ? そんなもの、求めてなどいない】
「おい・・・・・・けどよ ?!」
【彼女が望んでいると? 全く、勘違いも甚だしいな】
グラハムの冷たい声音に、ラッセは顔を顰めた。
そんなラッセをグラハムは鼻で笑う。
【例え私がそれを与えようとも、彼女はそれを幸せと思うはずがない】
「おい・・・どういうことだ? は 」
【彼女が幸せに見えるのなら、貴様の目が曇っているということだ】
「何だ、いったい・・・・・・あんたはのことを 」
画面の向こうで、グラハムがニヤリと笑った。
「ひとつ言っておこう。私は彼女の幸せにさして興味はない 貴様と違ってな」
【おい?!! 待っ 】
回線の向こうではまだ何か言おうとしていたが、グラハム・エーカーは通信をあえて遮断した。
真っ黒になった画面に、小さく笑みを浮かべる。
ラッセというあの男が、自分とのことで何か勘違いをしているのには気付いていた。
だが、あえて訂正も否定もしないでおいた。その必要はないだろう。
見ていて分かった。あの男はまだ .
ふっとグラハムは困ったように笑った。
「本当に、ここまであの兄妹にするつもりはなかったのだがな・・・・・・」
serenade / 喪失 より 「足掻くことは無様だろうか」
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