その背中が去っても、は視線を外せなかった。
大好きだった。
何よりも大切だった。
今でも愛してる .
小さく笑って、ようやくは目を伏せた。
彼が戻って来やしないかと待っているような自分の眼差しに、呆れた笑いしか浮かばなかった。
そんなわけないのに。
自分はラッセを傷つけて、遠ざけることを選んだんだから .
ずるずると壁に背中を預けたまま、は座り込んだ。
頭を抑えて、溜息を吐く。
【 ・】
は閉じていた瞼を上げた。
2年前とまったく同じ姿で、ティエリア・アーデが通信画面の中からを見つめていた。
「・・・・・・何?」
声を出すのも億劫そうなに、ティエリアが眉を寄せる。
【大丈夫か?】
「・・・・・・そう見える?」
【・・・・・・・・・】
「・・・もう、最低・・・・・・アタシ、あの子を泣かせたわ・・・」
【・・・ああ】
「見てたんなら止めなさいよ・・・・・・」
疲れたようにが苦笑した。
「あなたも見た目通り変わってないのね・・・」
【・・・止める必要はなかったはずだ】
「?」
【あなたは彼と、どんなカタチであれ話をする必要があった】
「・・・・・・」
【本当ならトレミーを降りる前に 】
が深々と溜息を吐いた。
「何か用?」
【ああ。話がある】
頷くティエリアにが苦笑する。
「・・・どこか場所を移したいんだけど・・・・・・」
【ああ。座れる場所を用意しよう】
「お願い・・・・・・もう、限界よ・・・・・・」
ティエリアは黙ってすぐ横の部屋の入口を開けた。
勝利の女神を穢した罪
【大丈夫か?】
再び投げかけられた質問に、は水を飲み干して苦笑を浮かべた。
ティエリアの問いには答えずに、部屋を見回す。
「・・・綺麗に片付いてる。誰の指示?」
【・・・・・・ラッセ・アイオンだ】
「そう・・・それを聞いて安心したわ」
そう言って、微笑みすら浮かべたに、ティエリアは眉を寄せた。
「だって、ラッセはアタシを忘れようとしてる。なら、近いうちに忘れられるわ」
気負うでもなく、無理矢理でもなく、はティエリアに静かに笑ってみせた。
「そうなったら、アタシがいなくなっても平気でしょ?」
【・・・・・・・・・】
の笑顔が美しくて、ティエリアは何も言うことが出来なかった。
改めて綺麗に片付けられたかつての自分の部屋をゆっくりと見回して、が再びティエリアに顔を向けた。
「で、話って何?」
全てを覚悟したような静かな表情に、ティエリアは腹の底から息を吐き出した。実際には肉体が無いため、部屋の空気は全く動かなかったのだが。
【・・・・・・正直に言おう。僕は、あなたがまだ生きているとは思っていなかった】
のアメジスト色の瞳を見つめたまま、ティエリアは続けた。
【あのデータから、ヴェーダも生存確率は、極めて低いと判断していた】
「ええ。知ってるわ」
【だが、あなたは今、生きている】
「まだ、ね・・・」
皮肉気にが苦笑する。
【だが、実際に生きてココにいる。このまま症状が進行しない可能性も 】
「奇跡はそう何度も起こらないから、奇跡なのよ」
静かな声だった。
だが、声を荒げて、感情的に怒鳴ってくれた方が、どれほど救われたか そんなふうに静かに、自分の運命を全て受け入れて、全て諦めたように微笑まれたら、何も言い返すことが出来なくなってしまう。
「ラッセの体が治ったのは奇跡。ライアンに何も遺伝しなかったのも奇跡。これ以上の奇跡なんて、望めるわけないじゃない?」
【奇跡などと! GN粒子が何らかの影響を与えていることは明白だ! ならばソレスタルビーイングにいた方が 】
「無駄よ」
の声は相変わらず静かだった。
だが、ティエリアは思わず口を閉ざした。
「ティエリア、さっき聞いたわよね? 大丈夫かって・・・」
笑っては先ほど飲んだ錠剤の隣に、別の薬を取り出した。
「もうアタシには奇跡を待ってる時間なんてないの」
【!!?】
「もう生半可な薬じゃ抑えられない。もう無理なのよ・・・」
進行を抑えるためではなく、症状を誤魔化すための薬だった。
治すことを目的としない、痛みを一時的に忘れさせるためだけの薬だった。
「・・・これでさえ、抑え切れなくなってきてる。副作用も強いし・・・もし奇跡が起こったとしても、一度の奇跡なんかじゃもう足りないわ」
言いながら、は薬を口に放った。
細胞異常による痛みを和らげても、その薬はの体自体を傷つける そんな薬をは躊躇無く飲み込んだ。
慣れた様子に、すでに服用は日常と化しているのだろう。
【・・・・・・三半規管も腕も背中の傷も、何一つ治ってなどいないのにMSなど・・・・・・】
ティエリアの非難の口調に、は苦笑を浮かべた。
「アタシにとってはよりも、ブレイヴの方が、操縦が簡単だったってだけよ」
【・・・・・・そんな体でよく地球連邦軍が入隊を許したものだ・・・・・・】
は肩を竦めた。
「誰も知らないわ。兄貴にさえ、細胞異常のことは言ってない・・・・・・知っているのは、あなたと、直属の上司だけよ」
【・・・・・・・・・・・・】
「さて・・・・・・もう行ってもいいかしら?」
薬が効いて眩暈も治まったのか、が立ち上がった。
出て行こうと扉へと向かうその背中に、ティエリアは2年前と同じような我慢など、解ったフリなど出来なかった。
【せめて・・・・・・せめて、ラッセ・アイオンに子供のことを知らせては? ・・・彼にも知る権利はあると思う】
ティエリアの言葉に、はいつかのような退廃的な笑みを浮かべた。
だが、それはいつかよりも随分と寂しそうに見えた。
「駄目よ・・・知ったら、彼がどう思うか、どうしようとするか、想像つくもの・・・・・・」
【・・・・・・】
「それは、きっと・・・きっと、彼の望む人生じゃない・・・彼にはそんな生き方、似合わない・・・・・・」
そんなことはないと、ティエリアは否定出来なかった。
だが、このままでいいとはどうしても思えなかった。
納得など出来なかった。
何故なら、この現状は誰も幸せではないからだ。
このままなら、これ以上傷つく人は出ないかもしれない。
それは正しいかもしれない。
だが、誰も幸せではない。
【・・・・・・ 】
「間違ってる」
【?】
俯いていた顔をゆっくりと上げて、彼女は以前と同じように優しい微笑を浮かべた。
「・は、あのトレミーを降りた日に死んだの。ここにいるのは、連邦軍のレジーナ・少尉よ 」
言葉を失くしたティエリアに、彼女は静かに離別を告げた。
「 そのレジーナ・も、もうすぐ死ぬんだけどね・・・」
serenade / もう世界には戻れない より 「勝利の女神を穢した罪」
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