懐かしい 本当はそんなふうに感じる余裕さえなかった。
会いたい 正直そんな明確な意思があったとは思えない。
けれど .
いつの間にか、体は懐かしい気配のする方へと向いていた。
いつしか足は、耳が捉えた声の方へ引き寄せられていた。
「アタシの中には、ラッセ・アイオンに対する何の感情もないわ」
ただ懐かしさだけを手繰っていた耳が、不意にその音に意味を見出した瞬間、ラッセはハッと現実に引き戻された。
一瞬、自分が何をしようとしていたのか、分からなくなった。
まさか?!! 今更、どうやって?
「ラッセ」
名を呼ばれ、ラッセはすでに自分が後戻り出来ない状況だということを理解した。
すでに二人の姿を遮るものはない。
隠れることも、踵を返すことも、もう遅かった。
「・・・・・・」
「久しぶりね」
かけられた言葉と向けられた視線に、目を逸らしたら負けだと何故かラッセはそう思った。
もう記憶の君しかいない
「アイオンさん・・・さん・・・・・・」
ラッセとの間に挟まれて、ミレイナがおろおろと右左往している。
関係ないミレイナが大層狼狽しているのに、当の本人たちが顔色を変えることなく淡々としていることに、何だか申し訳なさを感じてしまう。
いいや。顔色を変えないんじゃない。
変わらないように、動揺を表に出さないように努めているんだ。少なくとも俺は ラッセは、ぐっと視線に力を込めた。
穏やかでなんかいられない。
どうしてソレスタルビーイングを去ったのか、どうして一度も連絡をくれなかったのか、どうして何も言ってくれなかったのか、どうして先のような言葉を吐けるのか 疑問や怒り、悲しみが湧き上っている。
胸の内で荒れ狂う感情をぐっと押し込めて、ラッセはを見据えた。
彼女がラッセと同じように荒れ狂う感情を抱えているようには思えなかった。
特別な感情など、先ほどの言葉通り、もう無いのだろう。
「元気そうね」
告げられる声にも、特別な感傷は窺えなかった。
紡がれる言葉にも、特別な感情は感じなかった。
「・・・・・・ああ」
自分の搾り出した声が苦渋に満ちていて、ラッセは一旦口を閉ざした。
だが、はラッセのその様子に気付いた様子もなく、さらりと頷いた。
「皆も相変わらずみたいだし」
腕を組んでが背中を壁に預けた。ラッセに横顔を向ける体勢になり、の視線が逸れる。
先に逸れたの視線に、ラッセは小さく息を吐き出した。
荒れ狂う感情は、静まるどころか更に激しさを増している。
自分はまだのことが忘れられない。
自分にとって彼女は特別だった。
今でも、多分、まだ .
けれど、にとって自分はそういう存在ではなかったのだろう。
先に逸らされた視線が、それをラッセに教えている。
「・・・・・・連邦軍にいるんだってな・・・」
「ええ。ソルブレイヴス隊に配属されてるわ」
「・・・・・・MS部隊か・・・」
「ええ。階級は少尉よ」
肩を竦めてが笑う。
「・・・・・・少尉・・・」
は先の戦いでパイロットとして致命的な傷を負っていた。
平行感覚を掌る三半規管の損傷と右耳の聴覚の損失 だが、今の彼女は少尉だと言う。
ならば、再生治療が成功し、傷が癒えたのだろう。
「・・・・・・そうか・・・良かったな・・・」
「ありがと」
壁に凭れたまま、が唇を吊り上げた。
「あなたは相変わらず、この船の操舵手?」
「・・・・・・ああ」
「ふぅん、そう」
自ら尋ねたにも係わらず、は大して興味なさそうに相槌を打つ。
歪められた唇に、ラッセは酷くイラついた。
「・・・・・・おい。何か、言うことはないのかよ?」
堪えきれず滲み出した険を含んだ声に、の口元がさらに歪んだ。
「何を言って欲しい?」
嘲る様な笑いを浮かべて、がラッセに視線を向けた。
ラッセとの視線が絡まる だが、それは二度と一つになることはない。そう、分かった。
「・・・・・・変わったな、お前」
「2年よ。普通、変わるでしょ?」
肩を竦めてが笑う。
その姿に、もう自分の知っているはいないのだと思い知らされた。
自分の知っているは、こんな顔で笑わなかった。
こんなふうに言葉を紡がなかった。
これはもう、自分が知っているじゃない もう自分の知るは、自分の記憶の中にしかいないんだと、そう思い知った。
「・・・・・・そうかよ。相変わらずで悪かったな」
「本当にね。トレミーを降りて正解だったわ」
ラッセの知らない顔で、は笑う。
元々の、ソレスタルビーイングに加わる前の彼女に戻っただけなのかも知れない。
それとも、ソレスタルビーイングを降りて変わったのか もうどうでもいいのか。
彼女はもう、自分の知る彼女ではないのだから。
「・・・・・・勝手にしろ。二度と顔を見せるな」
「アイオンさん!!!」
言われたではなく、ミレイナが悲鳴をあげた。
「駄目です!! だって 」
「もちろん、そのつもり。今回のことは、不幸な偶然でしょ?」
泣きそうなミレイナとは対照的に、微笑を浮かべてが頷く。
「もう二度と会うことはないわよ」
歪められた唇も、嘲るような眼差しも、皮肉に塗れた言葉も、それは嘗て愛した人のものとは思えなかった。
今目の前にいるのは、ラッセの知らない人間だった。
「さん・・・・・・!!」
打ちのめされたミレイナの瞳から、透明な滴が溢れ出す。
だが、それでもは顔色一つ変えやしない。
そのことに、ラッセはイラつきと絶望的な諦めを覚えた。
「戻るぞ、ミレイナ」
涙を落とすミレイナに声をかけ、ラッセはに背を向けた。
「でも・・・・・・!」
泣きながらも、まだのことを気にする素振りを見せるミレイナに、ラッセは思わず声を荒げた。
「もうコイツは仲間でも何でもない、他人だ!!!」
「っ!!!」
息を呑んだミレイナの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「だけど・・・・・・」
「ラッセの言う通りよ。もうアタシはソレスタルビーイングとは何の係わりもない」
ラッセは背を向けていたが、が笑顔を浮かべているのが簡単に想像出来た。
「もう仲間でもなんでもない。さっさと忘れた方が、お互い幸せだと思うけど?」
知らない女の笑い顔を打ち消したくて、ラッセは自分の中のの記憶を探った。
「じゃぁねミレイナ。アタシのことは忘れて幸せになりなさい」
「・・・・・・さん・・・」
「行くぞ、ミレイナ」
今度はミレイナも歩き出した。小さく洟をすする音がする。
ミレイナと共に歩きながら、振り向くものかと心に決めた。
せっかく記憶から掬い上げたの記憶を汚したくなかった。
振り返っても彼女はいない。
以前のように自分の背中を見送ったりはしていない。
あの優しい眼差しも、照れくさそうな微笑も、もう自分の記憶の中にしかない そう知っていた。
「・・・あれは、もう俺たちの知ってるじゃない・・・!!」
serenade / 裏切られた後に より 「もう記憶の君しかいない」
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