「なぁ、さんって綺麗で優しくて、すっげー素敵な人だよなぁ」


  背後で聴こえた声に、ラッセ・アイオンは手を止めた。
  食事の入ったトレーを抱えたメカニックらしい二人連れが、ちょうどラッセの背後の席についたところだった。
  ソレスタルビーイングの全員の顔を覚えているわけではないが、あまり馴染みの無い顔だったような気がする。恐らく、この基地に来たばかりなのだろう。

  先ほどとは別の声が笑いながら同意するのが聴こえた。

  「そりゃそうだ。メカニックの連中は、みんなそう思ってるさ」
  「だよなぁ・・・俺、あの人が笑うたびに、まるで天使が降りてきたのかと思うもんなぁ」
  「天使ってお前・・・ま、分からなくもないけどさ」
  「だろ! リンダさんがラファエラなら、さんはヴィーナスかなぁ・・・」
  「・・・お前、ヴィーナスは天使じゃないぞ?」
  「いや、もうヴィーナスでいい。あの人と愛を語れるなら、俺      


  「悪いが、そいつは無理だ」

  突然会話に割り込んだラッセに、語っていた青年が驚いたように目を丸くする。
  もう一人の方が不味そうな顔をしたのを見て、ラッセはそれ以上何も言わずに食事を終えたトレーを手に立ち上がった。

  歩み去っていくラッセの背後で、まだ状況を理解していない哀れな青年が首を傾げる。

  「え? 何で?? もしかして、さんって彼氏いるの???」
  「お前の夢を破って悪いが・・・・・・今のが、さんの旦那だ」

  「え、えー!!? な?! だって、今の顔って・・・さんって母親なの?! ライアンのっ?!!
  えッ!!!? 子持ち?! 結婚してんの?!!!! ウソッ!!!
  マジで?!!!!! 誰かウソだと言ってくれー!!!!!」


  扉が閉まり背後の悲鳴が聞こえなくなって、やっとラッセは溜息を吐いた。

  「・・・・・・何人目の犠牲者だ?」

  もうそろそろ対策が必要だろうと、ラッセはもう一度小さく溜息を吐いたのだった。





















  「お疲れ様」
  「あぁ。ライアンは?」
  「もう寝ちゃった。今日も基地中走りまわってたみたいで、疲れたんだと思う」

  言われて覗き込めば、ライアンはすでにぐっすりと夢の中で、確かめるようにその頬を引っ張っても起きる気配もない。

  「ね? よく寝てるでしょ」
  ライアンの頬を突くラッセに、濡れた髪をタオルで拭きながらがくすりと笑う。

  「何か飲む?」
  「は、仕事はもういいのか?」
  「うん。今日はもう終了」
  「そうか。なら飲むか」

  ライアンの傍から戻ってきたラッセに、がグラスを手渡す。

  「ちょうど兄貴の農場で作ったワインが届いてるんだけど、それでいい?」
  ラッセのグラスに紅いワインを注ぎながら、が困ったように笑う。

  「ワインと一緒に、ライアンを遊びに寄越せって言う催促も届いたんだけど、ね」
  「あの人の場合、メインはそっちだろ。ワインじゃなくて」
  苦笑するラッセの言葉に肩を竦めることで返事をして、も自分のグラスにワインを注ぐ。

  軽くグラスをぶつけ合って一口飲めば芳醇な香りが広がった。
  「催促のオマケにしては、美味しすぎるけどね」
  呆れたように笑ったに、ラッセも笑い返す。


  半分ほど空けたグラスを置いて、ラッセはと改めて向かい合う。
  それに気付いたも、グラスを置いて首を傾げた。

  「今日はに、渡しておきたいものがあって、な・・・」
  「ん、何? 改まって?」
  「今更、って気もしたんだが」

  ラッセが取り出した小さな箱にが目を丸くする。
  中に仲良く並んだ指輪を見て、が微笑んだ。

  「今更、と言われれば、そうかも?」
  「今までこういうのをしなかったのは、悪かったとは思ってる」
  「アタシも気にしてなかったし、良かったのに」

  が嘘偽りなくそう思っているのが分かり、ラッセは気不味げに頭を掻いた。
  「そんな高価なものじゃなくて悪いんだが」
  「そんなこと、思ってもないけど・・・」

  そう言って、が意味有り気にラッセを窺う。その目が何故か楽しそうな気がして、ラッセは何だと視線で問うた。


  「・・・ラッセも所有物には印を付けたい男だったんだな、って」
  「それとはちょっと違うんだが・・・」
  言い淀んだラッセに、が苦笑した。

  「じゃぁ、尚更。今更、かもね」

  にしてみればそうだろう。
  付き合いだした頃からもう何年も経っているが、ラッセがに贈ったものと言えば、リンダから貰った花の苗くらいだ。
  アクセサリーなんて、今まで渡したこともない。
  ソレスタルビーイングの活動拠点が宇宙だから仕方ないなんて言い訳が通用するはずはなく、自身の不甲斐無さに溜息が出る。



  「でも、ありがと」

  その言葉に顔を上げれば、が本当に嬉しそうに微笑んでいた。

  「ね、つけてみてもいい?」
  「ああ・・・・・・貸してくれ」

  の左手を持ち上げて指輪を取り上げる。


  「・・・今更だけど、何か緊張するんだけど」

  の呟きに、ラッセは視線を上げる。
  どこか感慨深そうにがラッセの手元を見つめていた。

  「だって、結婚式とかしてないし。戸籍上はヴェーダに抹消されてるから、籍だってもちろん入ってないし。
  よく考えたら、普通のデートだってしたことないんじゃない? アタシたちって」

  「出逢った場所も状況も特殊だから、仕方ないだろ?」

  出会ったのは戦争根絶を目指す、言ってしまえば反体制武装組織。
  いたのはいつだって戦場で、その多くは宇宙空間かトレミーの操縦席。
  雑誌に載るような一般的な男女の恋愛とは随分違った経路を辿ってきた。
  お互い生き死にのギリギリに立ったこともあるし、取り返しのつかない間違いもあったし、もうダメだと諦めたこともある。決して楽な恋愛ではなかった。

  「それでも、今こうやってラッセに指輪嵌めてるのって、何だか凄いことのような気がする」
  「・・・そうだな」

  によって嵌められた自分の左薬指を見つめて、ラッセも感慨深く頷いた。

  「だけど、俺はだったからこそ、ここまでやってこれたんだ」
  「ありがとう。アタシも同じ想い。ラッセだったからこそ」

  ふわりと微笑んだにラッセも笑みを浮かべる。

  何の迷いもなく、今が幸せだと感じられる。そして、この先も幸せだと信じられる。
  きっとこれが、一番の幸せなのだろう。



  薬指の指輪を眺めながら、が残念そうに溜息を吐いた。

  「う〜ん、外すの勿体ないけど、作業するとき引っかかるかな?」

  予想していた言葉に、ラッセは苦笑を浮かべた。

  「出来れば外さないで欲しいんだがな」
  「でもラッセは手袋するときは、どうするの? 首から下げる?」
  「俺はそれでもいいんだが、は見えるところに身につけててくれないか?」

  ラッセの言葉に、がくるりと瞳を巡らした。

  「・・・・・・ねぇ、それってやっぱり、所有物には印をつけたいってことなんじゃない?」
  「そうじゃなくて・・・・・・第一、は物じゃないだろ」
  「うん、そうだけど・・・?」

  納得いかないようで、首を傾げるに、ラッセは諦めの息を吐いた。

  「は気付いてないんだろうけど、お前結構モテるんだぜ?」
  「でも、アタシはラッセのこと愛してるし。浮気とかは有得ないんだけど」
  「それは嬉しいし、分かってるんだが・・・・・・そういう問題でもないというか・・・」
  「いや、でもアタシにはラッセもライアンもいるし、何も気にしなくていいんじゃない?」

  分からないと首を傾げるにラッセは苦笑を漏らした。

  「それだ。それが、分からない奴もいるから、外して欲しくないんだがな」
  「? どういう意味?」

  溜息を一つ落として、ラッセは口を開いた。

  「ソレスタルビーイングも徐々に人が増えることで、俺とお前とのこと知らない奴も増えてるだろ? 一々説明するのもまどろっこしくてな」
  「説明なんかしなくても分かるでしょ?」
  「分からないらしい・・・分からなくても仕方ないと俺は思うが・・・」
  「何で? ライアンがアタシの子だって分かれば、そっくりなんだから、アタシとラッセの関係だって      
  「確かに、ライアンが俺に激似たってのは充分、分かるんだが・・・・・・」

  ラッセは再び溜息を吐いた。

  「ライアン、お前のこと""って名前で呼ぶだろ・・・カイウスさんの影響か?
   ・・・まぁ、いいんだが、あれだと分からなくても仕方ないだろ? とライアンは大して似てないしな・・・」

  「あー、そういうことか」

  やっと伝わったらしく、も苦笑を浮かべた。

  「兄貴とライアンの性格はそっくりなんだけどね・・・・・・呼び方は、兄貴だけじゃなくて、周り皆がアタシをそう呼ぶからってのもあると思うけど」
  「今更呼び方変えさせるってのも、おかしいだろ? 俺のことも呼び捨てだしな」

  二人で苦笑して、眠るライアンを窺う。話題の本人は、相変わらずぐっすりと夢の中だ。



  「・・・・・・・・・も相変わらず・""だしな・・・」

  「え・・・?」

  思わず漏れた呟きを、が聞き返し、ラッセは慌てて首を振った。

  「いや、別に大したことじゃないんだが。が""じゃなくなれば、もう少し勘違いもなくなると思うんだが・・・
   そもそもコードネームだし、俺はみたいに名前に思い入れがあるわけでもないしな。
   夫婦別姓なんて今時珍しくもない・・・まぁ、イアンのところは別だが       どうしたんだ、?」

  指輪を渡したの時とは比べ物にならないくらいに、が顔を真っ赤に染めていた。

  「それは・・・えっと・・・・・・?」
  何故かが口籠る。

  「つまり、・"アイオン"っと名乗ってくれればいいんじゃないか、と・・・・・・」
  「!!!」

  耳まで真っ赤に染めてが顔を覆う。
  「・・・・・・・・・いや、それはちょっと・・・・・・」
  「・・・?」

  が顔を覆っていた手を少しずらした。
  「・・・"アイオン"は・・・・・・」
  「何故だ?」

  怪訝なラッセの表情に、今度はが驚愕の表情を浮かべる。


  「・・・・・・もしかして、ラッセ、自分の名前の意味、知らないの?」

  信じられないと酷く驚くに、ラッセは眉を寄せた。

  「単なるコードネームだろ? 意味なんかあるのか?」
  「嘘っ!? 本当に?!!」
  「あぁ。わざわざ調べるようなものでもないだろう?」

  不承不承そう言えば、が信じられないものを見るかのようにラッセを見つめた。
  その視線が少々居心地悪くて、ラッセはわざと怒った表情を作った。

  「何だ? 俺の名前はそんなに嫌がられるようなものなのかよ? だったら、尚更知らなくてよかっ・・・」
  ふわりと淡い金色の髪が動いて、ラッセを抱きしめた。



  「未来永劫」



  「      ?!」
  「・・・やっぱり、知らない方が良かった?」
  窺うように見つめるに、ラッセは溜息とともに肩の力を抜いた。

  「・・・・・・いや、何で調べなかったのか、今後悔してる」
  苦笑とともにそう言えば、も笑った。
  その髪に指を絡めて、ラッセは考えるように首を捻った。


  「なら、・アイオンは      
  言いかけたラッセの口を唇で塞いで、が困ったように微笑んだ。

  「秘密」
  「ずるいな」
  「そう?」
  「あぁ。のままじゃ、許せないくらいに」

  笑うの瞳を覗き込んで、ニヤリと笑う。
  そしてラッセは、そのままそっとその唇に口づけを落とした。
















     serenade / 突然の別れ より 「永遠を誓ったはずなのに」

Photo by Microbiz

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