さっきから、ずっと不可解な顔つきで、ソファーに膝を抱えて座り込んでしまっているを、リーバーは手元の報告書を読むフリをしながら、ずっと気にしていた。
再び報告書を読もうと努めるが、目が文字を滑っていくだけで、まったく内容が読み込めない。
先ほどと同じ文字列を読んでいることに気付いて、リーバーは溜息を吐いて、報告書を机の上に放り出した。ついでに眼鏡も外して、その目元を押さえる。
再び顔を上げたリーバーは、相変わらずソファーで膝を抱えたままのに目をやった。
ずっとリーバーを見つめていたが、リーバーの視線を受け止めつつ、そのままじっと見つめてくる。
「・・・・・・どうした?」
結局リーバーが口を開く。
不可解な顔をしたまま、がやっと緩慢に口を開いた。
「・・・・・・ねぇ、どうして、さっきの彼は簡単に"約束"したの?」
「約束?」
リーバーの問いに、が緩慢に頷く。本当に理解できない、と言った様子では自分の唇に軽く指を当てた。
「彼、私に"忘れたくても忘れられない男になる"って、約束してった 」
「!!」
ほんの少し前に、リナリーによって強制的に退出させられたブックマンJrの起こした行動のことだと気付いて、リーバーは思わず握った自分の拳の中で、お気に入りのペンが軋む音を耳にした。
「・・・クロスみたいに、簡単にするもんじゃない、って教えてくれる人がいなかったのかな?」
が首を傾げているが、リーバーの耳には殆ど内容を伴って聞こえていなかった。
任務帰りのラビが、久しぶりに会ったの唇にあろうことか、キスをかましたのだ。
( ラビの奴、ぬけぬけと・・・・・・!!)
ぼきっ、と不吉な音がして、次いで走った激痛に、リーバーは思わず痛む指を押さえて呻いた。見れば、力を入れすぎたらしく、人差し指の第二間接が赤身を帯びている。
先ほどの不吉な音は、力の入れすぎでペンを圧し折ってしまった音、と言うわけではなく、リーバー自身の指が上げた悲鳴だったらしい。
(ペンに押し負けるって・・・・・・俺、どれだけ情けないんだよ・・・・・・)
痛みの為か、はたまた自身の情けなさの為か、うっすらと滲み出そうとする涙に、リーバーはますます落ち込んだ。
「 リーバー」
目元を拭うようにして掠めていった指に視線を上げれば、ソファーから立ち上がっていつの間にか傍に来ていたが、窺うようにリーバーを見つめていた。
「いやいやいや・・・ちょっと指、痛めただけだから」
慌てて、微かに赤くなった人差し指を示して見せた。
「こんなの大したことない 」
言いかけた言葉を飲み込んでしまった。
不意に腰を屈めたが、リーバーの人差し指に軽く口づけをした。
「いたいのいたいのとんでいけ」
呪文のように呟いて、視線を上げたの碧の瞳が、透き通っていて綺麗だ、なんて思った。
暫くお互いにそのままの状態で固まって、が不安そうに首を傾けた。
「・・・・・・リナリーから教えてもらったんだけど、違ってた?」
「いやいやいやいや、間違ってない!合ってる合ってる!! けど、誰にでもやるんじゃないぞ!?」
( 特に、ラビには)
心の中でだけ、そう付け足しておく。
リーバーの言葉に、がふわりと笑った。
(不味いな、その笑顔・・・間違いなく、俺、真っ赤になってるって・・・・・・)
「リーバー、クロスと同じこと言うんだ」
「・・・クロス・マリアン元帥と?」
「うん "簡単に約束なんかするな"って・・・」
「約束?」
リーバーの問いに、は何か思案するよう視線をぐるりと回した。
それから、表情を改めて、椅子に座るリーバーと視線を合わせるように膝をついた。
「・・・・・・私、リーバーと"約束"してない」
「?」
「してないよね?リーバーと"約束"」
「いや、してるだろ?約束ならいくつか 」
リーバーの言葉に、が不安そうに唇を噛み締めた。
「・・・・・・私、また忘れてる・・・・・・」
「忘れてない!は、俺とした約束、ちゃんと守ってるじゃないか!!」
リーバーは、肩を落としたに、慌てた。
「ほら、はずっと約束守ってくれてるじゃないか!任務に行く時と、戻ってきたら、俺のところへ顔を出すってやつ!」
な?と同意を求めれば、茫然としたままが呟いた。
「・・・・・・"指切り"も"約束"もしてないのに・・・・・・?」
「何だ、そんなこと・・・あれだって、立派な約束だろ?」
茫然とするが可笑しくて、リーバーは声を出して笑った。
つられたように、も笑った。
やっぱり、は笑った方が魅力的だと思う。
の笑顔を見ながら、そう思っていたら、一通り笑い終えたが、優しい目でリーバーに顔を寄せた。
「・・・・・・やっぱり、リーバーと、ちゃんと"約束"しておいてもいい?」
真意がつかめず、瞬きを繰り返すリーバーに微笑んで、が"約束"を口にする。
「 私は、リーバーを守る。何があっても、リーバーを守る。けっして、リーバーを忘れない 」
リーバーの唇に、の唇が触れた。
「 "約束"」
吐息がかかるほど近くで、がもう一度、ふわりと微笑んだ。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これが"約束"・・・・・・)
呆気にとられたように固まってしまっているリーバーに少々心配になったのか、が言い訳めいたことを口にし始めた。
「クロスには、あんまりやるな、って言われてたんだけど・・・・・・だから、まだクロスとリーバーにしか"約束"してないし・・・あ、でも、さっきの彼に、逆に"約束"されちゃったけど あれ?さっきの彼の名前・・・・・・・・・・あ、そうだ、ラビ!」
「」
一人で呟いて、一人で思い出して手を叩いていたに呼びかけた。
口を閉ざしたが、窺うようにリーバーを見つめている。
「 俺も、を守る・・・・・・俺に出来ることなんて、大してないだろうけど、それでも。俺は、が笑顔でいられるように、俺が出来ることをする 」
ちょっとクサイかな、と思いながら、触れ合った吐息をもう一度絡ませて、再びの碧の瞳を見つめて口にする。
「 "約束"だ」
照れ隠しも含めて、にやりと笑えば、も嬉しそうに笑った。
やっぱり、は笑っている方がいい。
その笑顔を見つめながら、リーバーは改めて、に釘を刺すことを忘れなかった。
「・・・・・・クロス・マリアン元帥の言う通り、他の奴にちょいちょい"約束"するなよ?」
「リーバーがそう言うなら」
そう言って、楽しそうにがふわりと立ち上がった。
「あ・・・・・・」
何か思い出したらしいが、くるりと一回転して、リーバーを振り返った。
「 リーバーは、私がスカートの方が似合うと思う?」
ラビの置いていった提案のことだと思い出して、リーバーは気不味気に眉を寄せた。もちろん、スカートの方が今のには似合うと思う。
けど、だ。これ以上、に変な虫(ラビを筆頭に)が近づくのは避けたい、のが本心だ。
「・・・・・・はどうしたいんだ?」
「私は リーバーが望む方がいい」
そう言って、はにっこりと微笑んだ。
「」
リーバーの呼びかけに、はくるりと振り返った。スカートがふわりと揺れる。
「リーバー」
自分の姿を認めて、微笑んだに、リーバーは内心で安堵の息を吐いた。
「修練場に行ってたのか?」
「うん。リナリーに手合わせしてもらってた」
首にかけられたタオルと、脇に抱えられた荷物から判断して訊ねれば、が満足気に頷いた。
昨晩(正確には今日の未明、明け方だが)、ふらりと現れた、どこか頼りなげなの面影はなく、いつも通りの姿に、リーバーはもう一度、心の中で息を吐き出した。
「・・・・・・今朝は、その、悪かった」
「?何で、リーバーが謝るの?」
首を傾げるに、リーバーは極まり悪げに頭に手をやった。
「・・・・・・"約束"したから、な」
リーバーの言葉に、が嬉しそうに笑った。
「大丈夫。リーバーはちゃんと、"約束"守ってくれてるよ・・・・・・リーバーがいるから、戻ってこれるんだから」
「そっか・・・・・・なら、いいんだ」
照れくさそうにリーバーが笑う。
「私も、ちゃんと守ってるよ?リーバーとの"約束" 」
瞬間、近づいたの瞳の、その宝石のような輝きに、リーバーは目を奪われた。
そんなリーバーを、もう一度くるりと一回転して振り返って、はスカートの裾を翻して、足取りも軽く駆けていった。
"約束"は、約束でしかない
"明日"は、明日でしかない
"心"も、きっと心でしかないのだろう
だから、そこに意味を見出して、
意義を見出して、
希望を見出して紡いでいくのは、俺たちのすることなんだと、そう思う .
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