(あれは確か )
蒲公英に似た金色が視界の隅を掠めた気がして、リーバーは足を止め、今横切ったばかりの通路を覗き込んだ。
( エクソシストの・・・・・・)
教団に来てすぐに、リナリーに引っ張られて、科学班のフロアへやってきていた、幾分とっつきにくそうな女の子 見た目はまるでちんちくりんな男の子だが の後頭部に間違いなかった。
殺風景な外の景色の何に興味を引かれているのか分からないが、微動さえせず窓を見つめている。
リーバーから窺えるその背中が、何だか寂しそうに見えた。
(・・・・・・そう言えば、リナリーは任務中か・・・)
一週間前に挨拶をして任務に赴いていった上司の妹の姿を思い出した。おかげで、有能なはずの上司の仕事が捗らない。心配なのは分かるが、もう少し何とかしてもらいたいものだと思う。
(はぁ・・・・・・仕事、終わるかな・・・・・・)
唯一、友達と呼べるリナリーが不在で、寂しいのだろう。
の背中から視線を外して、リーバーは再び科学班フロアを目指して歩き出した。
「はぁ・・・・・・忙しい ん?」
溜息を吐いて、ふと気付いた。確か、リナリーが任務に行ってすぐ、にも任務が入ってなかったか?
(・・・そうだ。まだ経験が浅いから心配だって・・・・・・・・・)
今一度、数歩戻って、先ほどの通路を覗き込む。
やっぱりそこには、先ほどと同じ金色の後頭部が変わらず存在していた。
(・・・・・・いつの間に戻ってきたんだ?・・・というより、いつの間に任務に行った?)
「よぉ、 」
リーバーの声に、緩慢にが振り返った。
リーバーを正面から見つめた綺麗な二対の碧の瞳 後になって思い返せば、これが最初にに惹きつけられた瞬間だった。
リーバーは自分の好奇心と御節介な衝動を抑えられなかった、ほんの4年前の自分を懐かしく、そして少々誇らしくこの先思い出すことになる。
「よく見たら、お前、傷だらけじゃないか!?」
近寄ってみれば、今当に戦場から帰ってきたという有様に、リーバーが思わず声のボリュームを上げた。
しかし、そんなリーバーに対しても、相変わらず緩慢な仕草では首を横に振った。
「傷なんてない」
「冗談。団服ボロボロじゃないか?!」
「傷はない」
繰り返すに、リーバーは改めてをじっくりと見やった。
二の腕まである手袋は擦り切れて綻びているし、ズボンだってあちこち穴が開いている。上着の裾だって、引っ掛けたのかボロボロになってしまっている。団服の飾りボタンだって、いくつか無くなってしまっている。
だが、確かにの言うとおり、傷はないようだった。それでも見えないところに、打撲や打ち身の跡があるのではないかと疑うリーバーに、がもう一度繰り返す。
「傷はない・・・・・・傷つかないから」
その言葉に、リーバーはのイノセンスのことを思い出した。詳しいことは判明していないが、確かのイノセンスは鋼の身体を作り出す 破壊の十字架(ロザリオ)
珍しいことに常時適合者とシンクロしているらしいそのイノセンスは、適合者の身体をまるで鋼のようにして、どんな攻撃も受け付けず、逆に適合者が放つ攻撃を戦車並みの威力へと変化させる。
ただし、鋼となるのはその肉体だけであり、今現在はその他のものへの転用はできていない。つまり、は接近しての素手での戦闘しかできないわけで、さらに言うなら、身につけている衣服やら防具の類はその素材のまま その結果、戦いが終われば、纏う衣服は今の状態になってしまうというわけだ。
「・・・本当に、傷はないんだな?」
「ない」
微かに頷いたにリーバーは安心したように一つ息を吐いてから、の両肩をがっしりと掴んだ。
「だとしても、だ。女の子がこんなボロボロの格好してるもんじゃないだろう?」
「?」
「例え、怪我がなくても、団服が破けたら、ちゃんと直してもらえ、な?」
「・・・・・・」
( こんなに、幼いのに、エクソシストだなんて・・・・・・)
の肩に置いた両手が、思いの他の頼りなさを伝えてきて、リーバーは微笑みながら、内心で眉を寄せた。
背丈だって自分に比べて大分低く、肩の薄さだって見た目通りでそんなに筋肉があるとは思えない。
そんな小さな女の子がアクマに対抗する力を持っているからといって、戦わなくちゃいけない。
しかもの場合は接近戦だ。
恐ろしくないはずがない。怖くないはずがない。
なのに、自分たちはエクソシストに、この小さな女の子に頼るしかない。
( もっと、俺に出来ることがあるんじゃないか・・・・・・?)
厚かましいことに、そんなことを思った。
「・・・大丈夫だったか?怖くなかったか?」
じっと自分を見つめている碧の瞳に、そう問いかけていた。言ってから、無責任なことを聞いたと、慌てて口を噤んだ。
だが、何か言いかけるようにして、また黙ってしまったが気になり、リーバーは目線の高さを合わせるように腰を落とした。同じ高さで見るの瞳は、左右で濃さの違う緑色がとても綺麗だった。
聞くことで、話すことで、この小さな女の子の力になれるのなら そう思って、言いよどむを静かに促した。
「 どうして?」
漸く発せられたの言葉の意味が分からず、リーバーはその続きを待った。
「・・・・・・どうして、優しいの?あなたも、リナリーも、みんな・・・・・・」
リーバーは思わず息を呑んだ。涙は流さずとも、目の前の小さな女の子が泣いていると、そう感じた。
「・・・私は傷つかない。なのに、みんな私を守ろうとする。私が守らなきゃいけないのに・・・・・・」
毎回任務に赴くたびに、エクソシストと同じように傷を負ってくる探索部隊 彼らのことだと分かった。
「どうして、みんな優しいの? それが、怖い」
の碧の瞳が、見えない涙を流していると、の心が泣いていると、そう思った。
このままじゃ駄目だと、そう信じた。
周りが、俺が、に気を配ってやらなきゃ駄目だと、そう直感した。
リーバーは微笑んだ。に向かって、優しく微笑んだ。
「 それは多分、君のことが好きだからだよ」
「・・・好き・・・?」
リーバーは頷いた。それから、の髪を撫でた。
「 少なくとも、俺とリナリーの理由は、のことを好きだから、だな」
「・・・・・・・・・」
不思議な顔をするに、もう一度笑ってみせた。
( 例えば、あのシスコンの上司なら、どうするだろう )
平和な時間に交わされる兄と妹の笑顔を頭の中で思い返して、リーバーは一つの案を思いついた。
( 多分、こういうことなんだろうな・・・・・・)
まだじっとリーバーを見つめている碧の瞳に、一つ大きく頷いて .
「それから・・・・・・任務に行く時と帰ってきたら、俺のとこに顔出せよ?」
「?」
微かに首を傾げたに、リーバーは悪戯を提案するように微笑を浮かべた。
「いつの間にかいなくなってる、知らない間に戻ってきてるってのは、無しにしないか?
その方が、きっと、多分、ここでの生活が楽しくなるし、もっと友達も増えると思うぜ?」
「リーバー」
科学班フロアを出たところで、後ろから撒きつけられた腕に足を止めた。振り返れば、背中に引っ付くようにしてがいた。
「これから行くのか?」
「うん」
少しだけ低いところにある碧の瞳がリーバーを見つめている。相変わらず、綺麗な瞳だと思う。
「誰とだったっけ?」
「ラビと」
「ラビか・・・」
調子のいい赤毛の青年の顔を思い浮かべる。
「だから、そんなに手間かからないと思う」
リーバーの思案顔を見てそう付け足すに、リーバーは苦笑を浮かべた。
(・・・・・・まさか、俺がそんなこと心配してるとは、思わないよな・・・)
「・・・・・・気をつけて、行ってこいよ?」
「うん」
いろいろな意味で言った言葉だったが、は分かっているのかいないのか(多分、分かってない)、簡単に頷いた。
「それじゃ、リーバー。行ってきます」
「ああ、いってらっしゃい」
スカートを翻して去っていくを見送る。
いつの間にか小さな女の子だったも、今では大人の女性に成長した。
それに伴って、自分の中のに対する感情が、気付けば父性とは別のものになっていた。そのことに自覚したのは、つい最近だ。
(・・・・・・4年で、綺麗になりすぎなんだよなぁ・・・)
の背中が既に見えなくなっていることに気付いて、リーバーは気不味気に頭に手をやった。
あの日交わした約束通り、は「いってきます」と「ただいま」を言うために、リーバーの元に顔を出す。
まるで自分が躾けたようなものだが、それを違えずに守っているに、どうしても頬がにやけそうになってしまう。
(・・・・・・悪い気はしない。いや、嬉しいと言うより、むしろ )
その先に浮かんだ言葉を否定する為に、リーバーは苦笑を浮かべて首を振った。
さすがに、それは科学班の班長たる自分が考えるのは憚られた。いくらオカルト集団的な黒の教団とはいえ、自分はそれを信じていない。じゃないと、もしもが何も言わずに任務に赴いたりしたら それを考えただけで、自分の精神が恐怖に破綻しそうになる。
(・・・・・・まぁ、信じてないが・・・)
「 ジンクスでもあるまいし」
否定する為に、リーバーはあえてその言葉を口にした。
(・・・・・・今回も無事に帰ってくるさ)
自分の矛盾を理解して、リーバーは肩を竦めて、踵を返した。
この思いに、名前をつけてもいいのだろうか
この行動に、理由をつけてもいいのだろうか
この衝動に、身体を任せてもいいのだろうか
答えは、多分ここにはない。
だから、二人でこの先へ .
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