骨が砕け、その衝撃に皮膚が内から踊る それは世界が始まる胎動
髪が乱れ、その場に響き渡るのは慟哭 それは世界に捧げる旋律
首が飛び、その傷口から吹き上がる血潮 それはこの世界への祝福
上げた悲鳴は、けれどどこにも届かず .
目の前に広がる闇に、は目を見開いたまま暫し停止した。
徐々に、ぼんやりと天井のライトが浮かび上がり、は教団内の自室にいることを理解した。
理解してから、はいつの間にか詰めていた息をふぅと吐き出した。それと同時に丸めていた体をゆっくりと伸ばす。
体を包んでいたシーツを剥ぎ、は、のそりと体を起こした。
手に触れる絨毯の感触を確かめるように、は何度かその毛並みに手を滑らせた。触れていれば温かいのに、少し隣へ手を滑らせて戻ってくれば、そこはもう冷たくて。
は、ふわりと立ち上がった。絨毯から一歩踏み出した石の床は、全てを跳ね返して冷たかった。
ぺたぺたぺたぺたぺたぺた 何か履いてくれば良かった。
石の廊下を歩きながら、響く反響音に唐突にそう思った。そう思ったら、急に足の裏から冷気が這い上がってきて、はブルッと体を震わせ、肩を抱いた
( 何か一枚着て来れば・・・・・・めんどくさい。
シーツ被ってくれば・・・・・・それじゃぁ、お化けだよ・・・)
つらつらと考えながら、は暗い廊下を進んでいく。
冷たい空気が肌を包む。
「・・・・・・・・・あれ?・・・いない、んだ・・・・・・」
自然に足が向いたそこに、その部屋の主の気配は無かった。
少しだけ感覚を研ぎ澄ませて、ドアの外から気配を探る。室内に人のいる気配は感じられず、は一度ぶるっと体を震わせた。
そして再び歩き出す。
相変わらず、ぺたぺたという音は、ずっとの後を付いてくる。
ぺぺった、ぺたたん 何となく歩くリズムを変えてみた。
無駄に跳ねてみた自分に少し笑う。笑ったら、少しでも気分が軽くなるかと思ったけど、それほどでもなくて、何となく自分がバカらしく思えた。
一度立ち止まってみる。
「どこ、いるんだろ・・・・・・」
気持ちを切り替えるように口にした言葉。
吐き出した言葉は、微かに白く空気に溶けた。
は自分の裸足の足に視線を落とした。
暗闇に溶け込むように自分の脚がある。
すでに冷え切った爪先は感覚がなくて、それでもは再び一歩を踏み出した。
音を後ろに引き連れたまま、は廊下を進んでいく。
そのまま暫く進み、科学班のフロアまで来たところで、人の気配を感じては顔を上げた。
少し先、科学班のメンバーが休憩に使うラウンジから明かりが漏れている。
その明かりに吸寄せられるように、の足が知らず知らずに早足となる。
早足が駆け足に変わりそうになった頃、の耳に届いた音 はっきりと聞き取れるほどの話し声ではなく、ざわめきに近いものだったが に足が止まった。
は歩を緩めて、漏れ射す明かりに近づいた。
恐る恐るラウンジの扉に手をかける。強くなる人工的な光に、は目を細めながら扉を押し開けた。
今まで暗闇の中にいたには、降り注ぐ光は眩しすぎて、思わず顔を背けた。
「じゃん?」
「珍しいよな?こんな時間にが起きてんのなんて」
「も飲むか〜?」
何だ何だと科学班の面々が口々に扉の方を振り返って声を上げた。仕事が一段落し、みんなで一杯やっていたようだ。
「・・・・・・?」
光の中から、探していた人物の声が聞こえて、は目頭に力を込めた。
声の主は、既に出来上がったコムイの隣で、飲めない酒の入ったコップを手に困惑したようにの名を呼んだ。相変わらず無精髭に覆われた顔、そこに声と同じ困惑の表情を読み取って、は何だか悲しくなった。
「どうしたんだ、こんな時間に・・・?」
リーバーに言われて、は鼻の奥がツンと痛くなった気がした。
「・・・別に・・・」
リーバーに会いたくなった、それだけだった。
夢を見て、目覚めたら世界に独りのような気がして、無性にリーバーに会いたくなった。
それだけだった。
世界に独りじゃないことを確かめたかった。
リーバーに会えば、この不安は消えると思っていた。
だけど、違った。
にとって、リーバーは世界だった。
リーバーさえいれば、それでいいとさえ思っていた。
だけど、リーバーにとっては違う。
リーバーにとって、は世界の全てじゃない。
リーバーには、リーバーの世界がある。
こうやって、科学班のみんなとの世界がある。
には、決して踏み込めない世界 を必要としない世界 .
「?」
呼ばれて我に返った。いつの間にか茫としていたようだった。
いつもの自分ならこんな時どんな風に・・・と考えて、いつもの自分が分からなかった。
だからは黙った。
「どうした〜?」
「も飲んでけよ?」
「そんなとこにいないで、入って来なよ?」
かけられる声に、は首を横に振った。
「ううん、やめとく」
そう言って、は踵を返した。そのまま滑るように扉の隙間を抜ける。
踏み出した一歩は、やっぱり冷たく痛かったけれど、は裸足の足のまま暗い廊下を走り出した。
扉の向こうで誰かの呼ぶ声がした、そんな気がした。
けれどそれさえも、都合のいい妄想に思えて、は足を止めることができなかった。
( 何やってんだろう、私・・・)
「こんなとこで何してんだ?」
いきなりかけられた声に、驚いて振り返った。
「神田・・・こそ、こんな時間に何やってんの?」
そこにいたのが神田だったから、声をかけられるまで気付かなかったことに納得がいった。
「俺は今から鍛錬だ」
「そっか・・・・・・もうそんな時間、なんだ」
窓から見える地平線がいつの間にか微かに色付いていた。言われるまで、気付かなかった。
視線の先、窓の外の景色が色付いていることにすら気付けずに、相当ぼんやりしていたらしい。
「お前こそ、こんなところで何してんだ?」
「・・・何やってるんだろう・・・?」
「・・・・・・俺が知るか」
呆れたように言って、神田が遠ざかっていく。
食堂のカウンター越しに、当直の人間に何か注文している後姿をぼんやりと眺める。
( 本当、何やってんだろう、私・・・)
はテーブルに突っ伏した。
真夜中に目が覚めて、それから一睡もしていなかった。
眠くないわけじゃなかったけれど、もう一度寝ようとは思えなかった。
「・・・・・・しゃきっとしろ」
テーブルの上に何か置かれた気配がして、は顔を上げた。
いつの間にか神田が戻ってきていた。机の上にはカプチーノの入ったカップ。
「・・・私、に?」
「そんなもんの何が旨いのか、俺には分かんねぇな」
そう言って、今度こそ食堂を出て行く神田の背中を見送った。これから鍛錬へと向かうのだろう。
はカップを両手で抱えた。
カップは温かくて、冷え切っていた指先の感覚がほんの少しだけ戻ってくる。
世界にこんな温かさがあるなんてこと、長く暗く冷たい夜のうちに忘れてしまっていた。
温かさによって溶かされていくように、少しずつ感覚が戻ってくる。
窓の外も少しずつ明るくなり、少しずつだけど、いつもの自分を思い出せるような気がしてくる。
見知った気配が近づいてきて、は顔を上げた。
見知った気配のはずなのに、待ち望んだ気配のはずなのに、とても懐かしいような気がした。
「神田から、ここに居るって聞いた・・・」
「そっか・・・」
「・・・・・・何か、あったのか?」
リーバーの問いには答えず、は抱えたカップに視線を落とした。
少しぬるくなったけれど、優しさは増した気がして、はカップのふちに指を沿わせた。
「・・・ううん、何も。何もないよ」
(大丈夫、いつも通りに笑えたはずだ)
そう思ったのに、リーバーの心配そうな顔が変わらずを窺っている。
「・・・・・・、泣いてたのか?」
恐る恐る肩に下ろされたリーバーの手の温もりを感じながら、は自嘲気味に笑って、首を横に振った。
「泣くわけないじゃない。だって、私 」
「」
それ以上は言うなと云うように、考えるなと云うように、リーバーがの言葉を遮った。
白み始めた空と、カプチーノの優しさと、添えられた手の温かさと それらがを包んでくれる。
やっと、いつもの自分にもどれる気がした。
神様なんていない
神様はこの世に、きっと興味なんてない
神様は私のことなんて、きっと見守ってくれてない
だから、私にとっては、
私を見守ってくれている、あなたがいてくれれば、それでいいの
46音で恋のお題「カプチーノに溶けた涙」より
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