「ん・・・・・・維新(ウァイサン)・・・?」
珍しいこともあるものだ。
いつもなら一度眠りに落ちたら、張(チャン)がどんなにイタズラを仕掛けようと起きないが、瞼を上げた。
「・・・どうした?」
銃声も殺気も収まっていたのに、いったい何に反応したのやら 寝ぼけ眼で、張を見つめるその頭に安心させるかのように手を伸ばす。
高級煙草(ジタン)を咥えたまま、少々手荒にその髪を撫でてやれば、擽ったそうにが目を細める。
その二つ名の通り、本当に狼か何かのような気さえしてくるその様子に、張の口元も緩みがちになる。
は殺し屋だ。
彼女の"黒狼"という二つ名を聞けば、震え上がる人間は少なくない。実際、腕前は相当なもので、狩をしくじることはない。
俊敏な体捌と、鋭敏に翻る刃、そして獲物を狩ることへの執着 張も"黒狼"の狩りを見たことがあるが、あれは感嘆に値する。特に、必ず殺るというその強い意志に。
たとえ武器を全て奪われようとも、その牙は折れることはなく、獲物の喉笛に喰らいつくことさえ厭わない。
誇り高き獣 その獣が、狩りを終えるたびに張のベッドに潜り込むようになって、もうどれくらい経つのか・・・・・・
血の匂いを漂わせて、黒い狼はふらりとやってくる。
昨晩もそうだった。
返り血は、一応落としてから来るのか。それとも、浴びないほど鮮やかに殺ったのか 見た目には分からないが、だが死神の気配を色濃く引き摺ったまま、は張の許へ現れた。
引寄せられるように寄せた体からは、確かに血の匂いがした。
誰かを、狩ってきた だが、誰を狩ったかは訊かないと、張は決めている。
訊けば答えるだろう。だが、訊いてしまったら気になってしまう。気になってしまえば、口を出してしまう。口を出し、そして手を出せは、この誇り高き獣は張の手元から離れていってしまうだろう。
たとえ、それが彼女を大切に思うが故だったとしても。
"黒狼"は殺し屋だ。
それは変えられない。変えるつもりもない。
は"黒狼"だ。
そして、今のところ張はを手放すつもりはない。
誰にも、渡すつもりはない。
お互いに必要とするうちは、このままでいればいいと思っている。
今も、張に擦り寄るように近づいたの、その口元へ、煙草を外した自分の口を寄せる。
重なり合った部分から、やはり微かに血の味がした。
「・・・維新の唇は、いつも煙草の味がする・・・・・・」
呟かれた言葉に、張は思わず苦笑を浮かべた。
「そういうお前は、死神の匂いがするぞ」
「うん? 気になる?」
「いいや」
答えて、張はを引寄せた。
「慣れ親しんだ匂いだからな」
「そう・・・」
やはりまだ眠いのか、引寄せられるままは張の腕の中に収まった。
「死神、連れて来てる?」
やはりまだ寝ぼけているのか、曖昧な質問に、張は飄々と肩を竦めた。
「いや? 俺には見えんが・・・もしいたとしても、それはもう死神じゃなくて唯の覗趣味の変体だな」
「・・・見えないのは、維新だから」
呟きながら、が小さく欠伸を漏らした。
いつもなら、寝汚いが睡眠の途中で起きることはない。今日は特別だ。
煙草をもう一度口に咥えてから、張は腕の中のを窺った。
珍しい。眠そうだが、やはり起きている。
すっかり"黒狼"の顔は影を潜め、眠気のためか、いつもよりさらに幼く見えるが顔を上げた。
張との視線が絡まる。
「・・・なぁ、」
「なに?」
「俺が死んだら、どうする?」
ぱちりとが瞬いて、口を開いた。
「維新は死なない。私が死なせない」
「もしも、だ」
あまりにも迷いなく言い切ったに、思わず笑ってしまいながら、張は紫煙を吐いた。
「在り得ない、もしもってやつだ」
飄々と、明日の朝の珈琲をカプチーノにするかカフェオレにするか尋ねるのと同じ調子で、張はもう一度尋ねた。
今夜が特別で、珍しいのなら、在り得ない話をするのもいいかも知れない それだけのつもりだった。
軽い冗談だと、その微笑で伝える張に、しかしは心底嫌そうに眉を寄せる。
「・・・・・・考えたくもない」
「もし俺が、お前より先に死んだとしたら?」
純粋に年齢だけで考えれば、より張が先に命を終えるだろう。だが、その命が曝されている危険を考慮すれば ロアナプラの街を割拠する四大勢力の一つ三合会(トライアド)タイ支部の現地最高責任者とフリーランスの殺し屋 互いに天寿を全うできる可能性は、ロアナプラの街中で一発の銃弾を探し出せる可能性より低いだろう。
「俺が、お前を残して死んだら、、お前はどう動く?」
「・・・・・・そんなの・・・」
「今更、天国に行こうなんて思ってないがな・・・どうする、?」
特に何かを期待したわけじゃない。ただ、訊いてみたかっただけだ。
ただの言葉遊び。
ここで答えが出なければ、その唇をもう一度味わって、の機嫌をあやしながら眠るつもりだった。
「・・・・・・もしも・・・」
の瞳が真剣で、張は咥えていた煙草を置いた。
「・・・在り得ないけど。そんなことになったら、私もすぐに地獄へ向かう。維新を殺したやつらを殺して。維新を見殺しにした世界を壊して。すぐに追いかける」
張は思わず苦笑を漏らした。
「なるほど・・・・・・お前らしい」
「・・・・・・だったら、維新はどうする?」
「ん?」
「私が死んで、維新はどうする?」
投げ返された質問に、張は再び高級煙草を口元に運んだ。
普通の女相手なら、簡単だ。俺も生きてやいけないと言えばいい。だが .
紫煙の流れる先へ、張も視線を流した。
「すぐには、追いかけられんな。悪いが 」
「そんなこと、望んでない」
強い口調に、張は視線を戻した。見上げる瞳が、鋭い光を帯びていた。
「そんなことしたら、地獄から蹴り戻してやる」
「それは・・・怖いな」
そう呟いた張に、が"黒狼"の顔で笑った。
「私が絶対に維新より先に地獄へ行く。だから、維新は永遠に地獄には入れない」
「・・・・・・」
「だから、安心していい」
「・・・・・・死んだら一緒にいてくれないのか?」
「・・・・・・・・・・・・そうなる、ね・・・」
静かな声で呟いた張に、が視線を伏せた。
煙草を捻り消して、張はをもう一度強く引寄せた。
「だったら、この話はナシだ。お前は、俺の隣で見届けてもらう必要があるからな」
「?!!」
「二人で永遠を生きてみるか?」
そう言って飄逸に肩を竦めてみせれば、ようやくがニヤリと笑った。
「思ってもないくせに」
「ハハハハ! なら、もしお前が先に地獄に行ったなら、俺の居心地のいいように準備しとけよ?」
「高級煙草にブランデーが必要? それとも紹興酒?」
「ふん、それも必要だが・・・それよりも、二人で地獄の乗っ取りなんてどうだ? ワクワクしないか?」
「維新がそれを望むなら」
答えてが張に体を寄せる。
高級煙草と死神の香りが交じり合う。
「そうだな・・・地獄ってやつが、本当にあの世にあるってんなら・・・・・・」
腕の中の温もりを確かめれば、が気持ち良さそうに欠伸を漏らした。
その様子に、張の口元に笑みが浮かぶ。やはり、孤高の獣は眠いらしい。
しっかりと抱き寄せて、そのまま夢の中まで連れて行こう。
「眠れ。朝までまだある」
「ん・・・・・・お休み、維新・・・」
「ああ」
もう一度触れた唇からは、やはり確かに血の味がした。
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あいうえお行で5種のお題/暗いお題より「すぐにいくからね」
あの世であっても、手離すつもりは毛頭ない・・・・・・
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