浮き上がってきた意識の中で、腕の中にある温もりを無意識に確かめて       安心している自分に、張(チャン)は苦笑した。
  うっすらとした暗闇の中で目を開ければ、寝顔はいつも、この時が一番幸せだというように穏やかで       起きているときも、これぐらい素直なら・・・いや、のままが一番いい。そんなふうに思っている自分の重症さ加減に笑いがこみ上げてくる。
  微かに笑った張に反応するように、軽く唸って腕の中の温もりが擦り寄ってきて       すぐに再び穏やかに寝息をたてるに微笑んで、張も再び目を閉じた。
  腕の中の温もりを感じながら、再び眠りに落ちていく意識の中で、ぼんやりと、でも確かに幸せを理解したような気がした。











   Bloodsport Fairy tale  PT.night (Love , that is a scoundrel )











  「連中がいると分かっていれば、もう少し手練を連れてきたがね。おかげで徒歩で帰宅だよ、まったくバツが悪いな」
  穴だらけになって使えなくなった車のボンネットに腰掛けて、張(チャン)は煙草を咥えた。残念ながら先ほどの撃ち合いで、高級煙草(ジタン)はオシャカになってしまったため、ワトサップから頂戴した安物だ。同じ煙草とはいえ、やはりまったく違う香りに、張の眉が僅かに寄る。
  「・・・・・・後はそっちに任せる。じゃぁな、バラライカ。幸運を」
  そう言って電話を終えると、張は煙を吐き出した。
  バラライカに言った、徒歩で帰宅はもちろん冗談だが、笑うに笑えない現状に少々疲労感を覚えていた。このことは、とっくに三合会(トライアド)へ連絡が行っているだろうから、誰か迎えを遣すだろうが・・・・・・たとえそれが僅かな時間だったとしても、こんなクソ不味い煙草とともに過ごすのかと思うと、はっきりいって不愉快だった。
  いっそのこと、煙草を吸うのをやめるか・・・・・・いや、最後の1本だ。いくら何でもそいつはゴメンだ       そんなことをぐるぐると考えていた張の耳が、近づいてくるエンジン音を捉えた。
  音のするほうへ、緩慢に振り返って       張は、咥えていた煙草を思わず取り落とした。
  派手なブレーキ音をあげて止まったのは、400ccのネイキッドタイプのバイクだ。止まりきる前に、黒く塗られたバイクから飛び降りた人物に張は驚きの声をあげた。
  「      ・・・・・・お前っ・・・!?」
  ヘルメットもせずに走ってきたために風で乱れた髪をかき上げて、がスタンドも立てずにバイクを路肩に放り出した。
  「奴らは?」
  そう言って、漆黒のドレスのスリットを掻っ捌きながら、が張のもとへ近づいてくる。深めのスリットが揺れるたびに、黒いストッキングと白い肌が夜に浮かび、正直、目のやり場に困る。
  「何処?」
  袖のないドレスから露出された肩から腕にかけてのラインの、その白さが目に焼きつくようだ。警護にあたっていた警察官たちの視線を釘付けにしたまま、が張の前で立ち止まった。
  「維新(ウァイサン)、ガキどもは何処だ?」
  冷たい目でそう言ったに、張は自分の目論見が無駄になったことを理解した。
  煙草を咥えようとして、漸く煙草を落としていることに気付き、張は持ち上げかけた腕をジャケットへと突っ込んだ。
  「・・・・・・とっくに逃げたさ」
  「そう・・・まだ生きてるなら、そのことを後悔させてやる」
  「・・・
  淡々と双子への殺意を口にしたを張が呼び止めた。
  「      ナイフ一つで突っ込む気か?」
  「・・・何か問題が?」
  不機嫌さを隠そうともせずが答える。張に向ける視線は鋭さを増している。張は内心で頭を抱えた。
  「ああ、大問題だ・・・・・・死ぬ為に行く気か?」
  張の言葉にの瞳がすっと細められる。自身の腕前を軽んじるような発言に、の周りの空気が一気に凍りつく。張は内心で溜息を吐いた。
  「・・・お前のナイフなら、たとえ相手がマシンガンをぶっ放そうが、上手くいけばお前は掠り傷で済むだろうが・・・」
  言ってを窺うが、彼女は相変わらず底冷えする光を湛えた瞳で張を睨んでいる。張は今度こそ溜息を吐いて、口を開いた。
  「今回はダメだ、状況が悪い。無数の銃口が狙う人狩り(マンハント)の標的だ。そこへ飛び込んだら、いくらお前でも背中から穴があくぞ」
  ぱちり、と瞬きをしたが、たちまち不貞腐れたように唇を曲げた。
  「・・・・・・・・・ぶっ殺してやりたい・・・」
  先ほどまでの殺気はおさまったものの、まだまだ不穏な言葉を呟くに、張は再度溜息を吐いた。
  「どうして俺が、わざわざそんな格好をさせたか・・・・・・気付いてないのか?」
  張は、腰掛けていたボンネットから立ち上がった。の正面に立ち、頭の先からつま先までを、改めて眺める。
  肩を大きく出した漆黒のドレスは、張が以前ラグーン商会を通して手に入れたものだ。普段まったく着飾らないは一目見て、張の部屋に放り出していったドレスだ。膝丈のスカートの裾からレースが溢れているが、サイドには深いスリットが入っていて、歩くたびに着る者の脚線美を披露する。黒のストッキングが穿かれた足先は、そこだけ真っ赤なピンヒールだ。
  いつもは酷く幼く見えるが、まるで別人のように見える。元々の作りは悪くないのだから、着飾れば映えるのだ、彼女は。まったく、もったいない。いつも、こんなふうにキチンとしていれば・・・・・・確かに、毎日夜会にでもいくような格好で、いつものようにロアナプラを歩いていたら、美人だということ以前に、別の意味で悪目立ちしてしまうだろうが。
  張の視線に自身の格好を再認識したらしいが、気不味気に視線を泳がせた。
  「・・・・・・だって、これしかなかったし・・・」
  「雨に濡れた急な着替えとしては、最高の衣装だな」
  「・・・・・・維新が、無理やり着せたんじゃないか・・・・・・別に濡れたままでも良かったのに・・・」
  「嫌々着せるのが楽しいんだよ」
  そのときの一騒動を思い出して、張は笑いを浮かべた。なかなか楽しい一時だった。
  笑う張に、不満気にが呟いた。
  「・・・・・・意地悪」
  の言葉に飄々と笑い、張は肩をすくめる。
  「心外だな、。着たくもない服を着てることも忘れるほど、俺のことが心配だったのか?」
  「・・・・・・・・・自惚れだ」
  「真実だろ?」
  張は肩をすくめてみせた。ジャケットに突っ込んでいた手を出し、の肩を引き寄せた。
  「・・・落ち着けよ、。俺は無傷だ・・・まぁ、ちょっと肝は冷えたが、こうして生きてる」
  「・・・・・・・・・・・・」
  「俺は無事だ・・・・・・・・・落ち着いたか?」
  張の腕の中で俯いたから答えはなく、しかしそれを肯定と受け取って、張は笑う。
  「頼むから、今日ぐらいは大人しく家にいてくれ。俺の胃に穴を開けたいのか?」
  「・・・・・・賞金かかってるのに・・・」
  張にだけ聞こえるような声で呟いた悪あがきにさえ、張は笑う。
  「今頃はもうバラライカの手の中だ。、バラライカの獲物を奪うのか?」
  「・・・・・・・・・やっぱり、維新は意地悪だ」
  そう呟いて唇を尖らせるは、すっかり黒狼の面影を潜めている。
  張は内心で安堵の息を吐き出した。を着飾らせた理由       それは、彼女にドレスを着せて見たいという張の願望と、それを着せる機会という状況が訪れた偶然ももちろんあるのだが。
  何よりも、今日を着飾らせた理由       今日だけは閉じ込めておきたかったからだ。
  の仕事が、張のいる世界が、汚れたものであることは分かっている。決して、美しくない、美しいものなど信じなくなる世界だ。だが       と張は思う。
       (ブラック)ならば構わない。だが、闇(ダーク)には染めたくない、と。
  甘い、と思う。それこそ、どうしようもなく。けれど、せめて       そう、これは張の我儘だ。
  張は抱えたの肩に手を滑らせた。唇を尖らせらせたまま、が張を見つめる。その瞳を覗き込む。
        せめて、闇に落ちるなら、俺が落とす。
  「・・・・・・維新、顔が緩んでる」
  不満気な顔で、張を見やるに顔をよせる。
  「緩みもするだろうさ・・・何たって、滅多に拝めないような格好のが目の前にいるんだからな。わざわざ着飾って出てきたんだ。これから二人で出かけるか? そうだな・・・その格好なら、ベガスのカジノにだって入れるさ」
  「・・・・・・歩いてベガスまで?」
  「それは無理だな・・・だが、お前のバイクを走らせれば、ホテルのスイートルームまでなら一跳びだろ?」
  触れるの肌の感触を楽しむように腕を滑らせ、張は一連のやりとりにすっかり目を奪われてしまっている警官たちに見せびらかすように、彼女の腰を引き寄せた。彼らに聞こえるように、口を開く。
  「後のことは、三合会を通してくれ。ワトサップにも、今夜は邪魔するなと伝えておけ」
  やっと自身の職務を思い出したらしい警官たちが慌てて目を逸らすなかで、張は飄々と宣言した。
  腕の中で、困ったように身を縮めているに張は笑みを浮かべる。今更、自分の格好に思い至っても、もう遅い。
  「その格好が嫌なら、さっさと脱いじまった方がいいな。部屋に戻るよりも、ここからならホテルの方が近いだろ?」
  笑みを濃くして、張はに囁いた。











     46音で恋のお題より「ならず者な恋心」
 あなたがいない世界なんて、想像したくない・・・・・・

Photo by 塵抹

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