「うわっ・・・・・・・・・」
ロックこと岡島緑郎は、降り注ぐ日差しに肩を落とした。
このロアナプラに流れ着いて、すでに何度も経験した亜熱帯特有のこの暑さ。そろそろ慣れてはきたものの、それでも許容範囲を大きく超える猛暑日が続いては、やる気はNYのウォール街も真っ青になる角度で急降下中だ。
この猛暑には、ロックよりもロアナプラ歴が長いタフガイ・ダッチも参ったようで、いつもなら受けないような安い仕事で、ラグーン号に一人飛び乗ってフィリピン沖まで荷の受け渡しに行ってしまった。
報酬の安さに苛立ったら飛び込めばいいだけだ。海上なら頭を冷やすための水には困らないだろうから。
「・・・・・・暑い・・・」
言えば涼しくなるわけではないのだが、言わずにはいられない。
少しでも風を感じようと、ワイシャツの胸元を空しく上げ下げしながら、出来るだけ日陰を選んで歩き出す。
ぼろ儲けとは縁遠いラグーン商会の中古のエアコンも、地獄の番犬の呻り声のような音を立てて頑張っていたのだが、今朝とうとう御臨終を迎えてしまった。
中古の割によく働いてくれたのだが、怒りに任せたレヴィの一撃で哀れな姿になってしまった。思わず手を合わせたくなったのだが、元々そこまで効きが良かったわけでもないことを思い出して止めた。
トドメの一蹴を見舞ったレヴィは、不快指数を一気に上げてラグーン商会を出て行った。今頃は暴力教会でエダ相手のポーカーでさらに不機嫌になっているか、イエローキャブで酒を飲みながらやはり不機嫌の真っ只中だろう。
一緒に行っても良かったのだが、レヴィの苛立ち具合を考慮して止めた。ツマミのナッツが一つ少ない、なんて理由で銃撃戦に巻き込まれては堪ったものではない。
「でも、この暑さじゃ、仕方ないか・・・・・・」
些細なことで殺意を覚えても納得してしまえるほどの暑さだ。レヴィじゃなくても、暑さが犯罪の理由になりそうだ。
ダッチが戻ってくる前に壊れたエアコンを何とかしないと、自分がそんな犯罪の被害者に成りかねないな、と働きの鈍った頭で考える。
ベニーなら修理出来るかもしれないが、生憎彼はエアコンMAXの自室から一歩も出てこようとしない。この暑さはPCに悪影響だとか何とか言っているが、本当はベニー自身がこの暑さを感じたくないからじゃないかと勘繰ってしまう。まぁ、まず間違いなくそうなんだろうけど。
「脳みそ溶けてるんじゃないのか、俺・・・」
自分の考えに苦笑して、ジリジリと肌を焼きながら、勢いよく吐き出される室外機の熱風に髪を曝す。
こんなに勢いよくファンが回っていれば、中はさぞかし涼しいだろう。住人はベニーのような機械オタクか、もしくは、世界中から悪人が集まるロアナプラらしく極寒の国の出身者か 例えば、ロシアとか。
ちらりと確認すれば、ホテル・モスクワとは無関係の安アパートで、おそらく中の住人は前者のネット中毒オタクだろうと知れた。
ホテル・モスクワ それはこのロアナプラに巣食うロシアン・マフィアの名だ。
アフガン還り(アフガンツイ)だと噂されるバラライカ(フライフェイス)率いる彼らが、何故ロアナプラなどに流れ着いたのかは知らないが、統率のとれたその組織はまるで軍隊そのもので、その残忍さと凶暴さは間違いなくロアナプラ一だ。
そんなホテル・モスクワの面々は、エアコンの庇護下にいるというよりも、この暑さの中、それもエアコンすらない部屋で一糸乱さずに軍服を着て整然と立っている、という想像の方が現実味を帯びていて、ロックは思わず笑ってしまった。
エアコンの恩恵を最大限に受けていそうなのは、やはり .
「 張(チャン)さん、だよなぁ」
振り仰いだ青空に映えるビルの最上階にいる(だろう)人の、サングラスと飄々とした顔を思い浮かべて、やはりロックは笑ってしまった。
張維新(チャン・ウァイサン) それはロアナプラの上で拮抗する勢力の一つ、チャイニーズ・マフィア、三合会(トライアド)のタイ支部長だ。
洒落者で知られる伊達男。彼ならエアコンの効いた部屋で、高級煙草(ジタン)を燻らせていても絵になるだろう。さすが、雅兄闊歩(ウォーキン・デュード)というところか。
「・・・・・・あ〜ぁ、ここも売り切れか・・・」
自販機を覗き込んで、ロックは溜息を吐いた。
ラグーン商会の1階に設置された自販機が売り切れていたために、こうして水を求めて彷徨っているのだが、どうやらこの暑さはロアナプラの住人たちにとっても我慢の限界を超えていたらしい。
夜になっても下がらない気温に、ロック自身も寝不足気味だ。摂った傍から汗になると分かっていても、浅い眠りの間に水分を補給しなければ、翌朝にはミイラになっているだろう。
このままでは、ロアナプラ中の飲料水とアルコールが枯渇する。いや、その前に、水を求める暴動で銃弾が枯渇するだろう。
確か、この先の路地にも自販機があったはずだと、ロックは気怠い体を引き摺るようにして角を曲がった。
「・・・あ、れ?」
表通りからは陰になる薄暗い路地の自販機の前に人影を見つけてロックは足を止めた。
暗さに慣れるために瞬きをした一瞬、まるで肉食の動物のようにその目が光を反射したような気がした。
「・・・・・・水なら、まだ残ってるよ」
「君は・・・・・・確か、張さんのとこの・・・」
ようやく光に慣れてきた目に映った少女は、少し不機嫌そうに眉を寄せていた。
「・・・・・・所有されたつもりない、けど」
何事か呟きながら、彼女が自販機の前をロックに譲る。
小さくくしゃみをして、今買ったばかりと思われる飲料水のプルトップを開けながら脇へ避けた彼女の足元を見て、ロックは日本人特有の曖昧に浮かべていた笑みを凍りつかせた。
「えっと・・・これは?」
訊かなくてもいいことを尋ねてしまうのは性格らしい。
ロックの指した先を一瞥もせず、彼女は水を嚥下して
「ゴミ」
と吐く息とともに答えた。
「へぇ、そう・・・」
引き攣った笑みを浮かべたまま、ロックは自販機に向き合った。
以前ダッチが言っていた 張の旦那は狼を飼っている。それも、ただの狼じゃねぇ。黒狼と呼ばれるそいつは、こっちの世界じゃ死神と同意語だ 彼女がその黒狼だと知って正直驚いた。
けれど、今なら分かる。
水を取り出すために身を屈めれば、彼女が言うゴミがよく見えた。ロックの言葉で言えば、屈強な男3人分の 死体。
「・・・冷えてないから」
「え?」
「冷水は7ブロック先。売り子が自販機の3倍の値段で売ってる」
「あぁ、ありがと・・・」
「ただし、中身は裏の川の水だけど」
知らなければ冷えた汚水を買っていた。もう7ブロック歩く気力があれば、だが。
立ち去る様子のない少女に、日本人特有の感覚で立ち去り難くなったロックは立ち話の話題を探した。
「えっと・・・・・・このゴミ、を殺したのは、何か揉め事でも?」
「暑かったから」
「えっ・・・・・・!!?」
言葉を失ったロックを見ながら、少女はゆっくりと水を飲み込んで
「冗談」
と鼻で笑った。
「水が欲しかったら金か体を出せってほざいたから」
再び缶を傾ける少女に、ロックは緊張を解いた。
自分もペットボトルの口を開けて水を取り込む。細胞が生き返る感覚に、自然と顔が綻ぶ。
「日本人は冗談を解さないってのは本当だったんだ」
「君が言うと、冗談に聞こえないから」
「そう?」
「あぁ、そうだよ」
苦笑を浮かべて頷けば、少女が首を傾げて、分からないと首を振った。
「あんたんとこの拳銃遣い(ガンスリンガー)じゃないんだから、そんなことしない。それに、殺ってない」
そう言いながら彼女が持ち上げた脚を勢いよく足元に転がる男の下っ腹に落とせば、微かに呻き声が上がった。
「私は、あんたんとこのとは違う・・・・・・それに、夏の間は出来れば控えたいし」
最後の方は再び上がった呻き声に消されてよく聞こえなかった。
だが、どうやら彼女がレヴィに好印象を抱いていないのは分かったので、同じ職場の仲間として何やら弁解したくなった。
「レヴィだって、暑いからってだけで人を殺したりはしないと思うんだけど?」
「どうかな・・・エアコンの温度を1℃上げたってだけで、鉛弾が飛びそうだ」
「いや、それは、ないと思うけど・・・」
言いながら、今朝のレヴィを思い出してロックは言葉を濁した。彼女の言うとおり、鉛弾は飛び出したわけだから、あまり強くは反論できない。
溜息をペットボトルに口づけることで誤魔化したロックを眺めていた少女が、また小さくくしゃみをした。
「風邪かい?」
「・・・・・・・・・・・・・・・寒すぎるのが悪い」
「?」
再び黙って水を呑む彼女に、ロックは共通の話題を探す。が、やはりそれほど共通点があるわけじゃなく、結局
「そう言えば、張さんは元気かい?」
というよく分からない質問がロックの口から発せられた。
言ったロックが分からないのだから、彼女が不可思議な顔をしたとしても何の不思議もない。首を傾げる彼女に、後出しで説明を追加する。
「ほら、ここ最近暑い日が続いてるし。夜になっても気温が下がらないから寝苦しくって、俺なんか寝不足気味で」
「それは問題ない」
「あ、やっぱり、張さんぐらいになると、ロアナプラの気候にも慣れて」
「24時間エアコン、フル稼働」
「あぁ・・・やっぱりそうなんだ・・・」
何故か仏頂面で答える少女に、ロックは苦笑する。
「いいなぁ・・・張さんはこの暑さを感じてないのか。本当、羨ましいよ。ラグーン商会なんか、エアコンが壊れちゃってさ」
「維新(ウァイサン)のとこも壊れればいいのに」
「え?」
「何でもない」
聞き返したロックに瓢と肩を竦めて、少女が首を振る。
「暑さで皆苛立ってるから、気を付けて帰りな、日本人」
その仕草や言い回しが妙に誰かに似ていて、ロックは思わず笑顔を浮かべた。
「肝に銘じとくよ。それと、俺は日本人なんて名前じゃないんだけど?」
立ち去ろうとしていた少女が足を止めて振り返る。
「俺はロック。君は?」
「・・・聞いてどうする?」
「別に。単なる俺の好奇心」
不思議なものを見つけたとばかりに、少女の目が瞬いた。
「・・・・・・ロック、あんた、長生きしないよ?」
「偶に言われる」
答えれば、ニッと少女の唇が上がった。
「。張大哥(チャン・タイコウ)以外は黒狼と呼ぶ」
一瞬、黒い大きな獣が牙を見せて笑った幻覚を見た。
ハッと気づいた時には、の背中は路地を曲がって消えていた。
腹の底から込み上げてきた感情そのまま、ロックは息を吐き出した。
「ははは・・・ロアナプラにまだあんなのが居るなんて」
どこか遠くで、小さくくしゃみが聞こえた気がした。
「まだまだ、楽しめそうじゃないか」
ニヤリと笑って、ロックはボトルに残った水を飲み乾したのだった。
Burning Hot Summer! -1 (the Future of the Crimson can Look)
serenade / 裏切る前に より 「紅の未来が視えるよ」
・・・・・・だったら、それを笑って迎え撃ってやる
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