「だから、お前は大人しくしてればいいのさ!!!」
  「・・・・・・・・・分かってるけど・・・」
  「なら、頼むから今は黙って俺の傍にいろ」
  不機嫌なを宥めるように、張(チャン)は大袈裟に肩を竦めてみせた。
  だが、当のは納得いっていないのが一目で分かる仏頂面だ。

  それも仕方ない。の不満は理解できる。
  だが、今、が下手に手を出せば、最悪、ロアナプラが壊滅する。
  冗談でなく。

  昨晩、張は襲撃を受けた。
  もちろん、傷を負うことなく、こうして無事であるわけだが、にとってみれば、張が襲われたこと自体が我慢ならない。
  さらに、襲撃の舞台となったザルツマン号へは同行しておらず、襲撃犯たちが逃走に成功していることも面白くない。自分がいれば、そいつらを逃がすようなことはなかったのに、と歯噛みしているに違いない。
  よりにもよって、その襲撃犯たちを運んだのがラグーン商会の面々だった、というのも不機嫌の一因だろう。どうやらはラグーン商会のことが気に入っていないらしい       気に入らないのはラグーン商会ではなく、レヴィ一人に限定されている気もするのだが。
  ラグーン商会の仕事については、今回のことは不幸な行き違いだったのだ。もしくは、何者かの描いた絵の上で躍らされたか       ともかく、ラグーンの面々は今回のターゲットが三合会(トライアド)、ひいては張維新(チャン・ウァイサン)だったことは知らなかったらしい。
  知らなかった       はい、そうですか。と終わりに出来るものでもないので、ラグーン商会には、無実を証明したかったら、その襲撃者たちと落とし前をつけて来い、と言ってある。
  今頃は必死で、襲撃者たちを探し回って、上手くいっていれば、片をつけている頃合だったはずなのだが      .

  「信憑性もあるって」
  憮然とした表情で、が詰め寄っている。
  机の横で小さくなっている腹心に張は目をやり、溜息を吐いた。申し訳なさそうに、彪(ビウ)が小さく頭を下げる。
  「すみません、大哥(アニキ)・・・・・・」
  「いや・・・・・・だが、ラグーンの連中はいったい何をやってるんだかな・・・」
  不貞腐れていると、身の置き場のなくなっている彪を交互に眺めて、張は苦笑を浮かべた。

  張維新を狙う殺し屋たちが隠れ潜んでる場所を知っている       そんなタレコミがあったと彪が報告を持ってきた。
  このタレコミが当たりなら、ラグーンの面々はいったい何をやっているんだ!ということになる。の機嫌がさらに悪化するのも納得だ。
  ザルツマン号での襲撃事件については、徹底した緘口令を敷いている。ここロアナプラで三合会のタイ支部ボス、張維新の命が狙われていること自体、広まっていないはずだ。だから、そもそもそんなタレコミが入ること自体が不自然なわけで       ということは、ラグーン商会の面々がどこかで口を滑らした。いいや、あのレヴィって気に入らない女が吹聴して回っているに違いない!という図式が、の頭の中では成り立っているのだろう。

  「いいでしょ? 維新(ウァイサン)
  その、いいでしょ?と言うのは、一体どちらの意味でとればいいのか       張の命を狙っている奴らを殺しに行ってもいいでしょ?なのか、それとも、役立たずのラグーン商会を潰しに行ってもいいでしょ?なのか      .
  「・・・・・・すみません、大哥・・・・・・」
  再び謝罪を口にする彪だが、にタレコミが漏れたのは彼の責任ではないだろう。
  彪も部下から報告を受けた側で、彼に報告が入るまでの間に、どこかでが聞いたのだろう。
  「・・・如何しますか? 手勢を差し向けるなら、すでに準備万端整っていますが・・・」
  「さて、どうしたもんかね」
  彪の問いかけに、がジロリと彪を睨んだ。その視線の意味は明確だ       手勢? 私一人で充分。っていうか、私に行かせて。
  以上。

  嘆息して、張は天井を仰いだ。
  の希望は叶えてやりたいが、今回は少々事情が込み入っている。
  襲撃者たちが、ザルツマン号からの逃走に使用した船が、何と!こともあろうにブーゲンビリア貿易の持ち物だったのだ。
  ブーゲンビリア貿易       その正体は、ロシアン・マフィア、ホテル・モスクワのタイ支部だ。
  三合会のタイ支部が、表向き熱河電影公司(イッホウディンインゴンシ)の名を使っているのと同じ理由だが、ロアナプラでは誰もがその正体を知っている。
  公然の秘密だ。

  ホテル・モスクワ       残忍さ凶暴さではロアナプラで群を抜くその組織の女頭目が、バラライカだ。
  今は協調関係にあるホテル・モスクワと三合会だが、嘗ては血で血を洗う抗争を繰り広げた。
  再び二大勢力が衝突すれば、間違いなくロアナプラは地図から消える。

  三合会のボス・張維新を襲撃したものの背後に、ホテル・モスクワの、バラライカの影が見え隠れする。
  ホテル・モスクワ側は、逃走に使われた船は数日前に盗難にあったと主張している。
  だが、襲撃犯が旧ソ連軍の狙撃銃を使用し、ホテル・モスクワの船で逃げる       バラライカの関与を少しも考えない、なんて者はよっぽどの間抜けだけだ。
  三合会の手勢を使えば、最悪、ホテル・モスクワとの全面戦争に発展する。
  バラライカに、張の所有物と見なされている       そんなことをが知ったら、それこそプライドの高い彼女はバラライカを獲物に定めるに違いないが       が、今回の事件に係わるのは、後々やっかいだ。
  が、黒狼として、張とは、三合会とは無関係だと主張したとしても、それはそれで勘弁願いたい。
  ホテル・モスクワに喧嘩を吹っかける黒狼なんて、考えただけで頭痛がする。
  いくら黒狼でも無事ではすまない       黒狼が弱いと言う意味ではなく、ホテル・モスクワが途方もなく強大だ、と言う意味だ。
  黒狼一人で壊滅できるほど、ホテル・モスクワは烏合の衆の集まりではない。あれは、統率のとれた軍隊だ。
  今後の付き合いのためにも、今回の件はラグーンの面々だけで片をつけて貰いたかったのだが       暫く考えた末に、張は右手を差し出した。すかさず彪が携帯電話を渡す。
  未だに仏頂面のに苦笑して、張はまず馴染みの相手に、二件電話をかけ、最後にラグーン商会の番号を押したのだった。











   Wind of the Devil  PT.start (Poor Lamb for Making the First Kill)











  「維新」
  の期待に満ちた瞳に気付かないフリをして、用の済んだ携帯を彪に渡した。賢い腹心は、これから起こる一騒動を予測して、さっさと距離を取っている。
  見つめるその瞳が望んでいる言葉は充分すぎるほど分かっていたが、張は溜息を吐きながら首を振った。

  「お前は駄目だ」
  「維新!!」
  「駄目なものは駄目だ」
  張の言葉に、の目がスッと強さを増した。
  「・・・・・・シェンホアと、よりにもよってアルボンディガ三兄弟? なのに、私には出るなって?」
  いつものの声よりも随分と低い。こういうときの彼女は、本気で頭にきている証拠だ。

  先程の電話で、張はフリーランスの殺し屋に襲撃犯の始末を委ねた。それが、シェンホアとアルボンディガ三兄弟だ。そこにラグーンも加わって、今回の騒動にケリをつけて来い、という運びにしたわけだ。
  黒狼も、一応はフリーだ。別段、張が雇っているわけではない。だったら、自分が行ってもいい。むしろ、行かせるべきでしょ?      は言いたいわけだ。

  「・・・・・・理由を言って。じゃないと、納得出来ない」
  ここにいるのが彪で良かった。まるで地を這っているようなの声に混じった殺気に、彪でなければ耐えられなかったかも知れない。その彪の顔も少々強張っている。
  空気を和ませるように、張は飄逸に肩を竦めた。
  「おそらく、今回の一件、バラライカ自身は無関係だろう」
  「だったら、私が出てもいいんじゃない?」
  「ああ。だが、どうやら俺たちを躍らせたい誰かさんは、三合会とホテル・モスクワの対立をお望みのようだ。だったら、進んで踊らされるのは癪だろう?」
  言っての顔を窺う。
  彼女だって馬鹿ではない。張の言うことは理解出来るし、そうした方がいいということも分かっている。
  ただ、感情が納得出来ないだけなのだ       暫し黙っていたが、憮然とした顔で口を開く。

  「・・・・・・・・・これ以上、醜態を曝すようなら、ラグーン商会を潰すよ」
  「まぁ、仕方ないな」
  「大哥?!!」
  驚く彪に肩を竦める。
  この辺りが落とし所だろう。これ以上の制止は逆効果。下手をしたら暴走したが、それこそホテル・モスクワへ突っ込みそうだ。

  ラグーン商会とは長い付き合いだが、確かにこれ以上醜態を曝すようなら今後の付き合いを考え直さなければならないだろう。
  なら、いっそのこと、ラグーンの面々には生贄の羊になってもらおう。不要な駒を掃除でき、の気も治まるなら、一石二鳥。いや、ロアナプラの騒動の元が一つ減って、それ以上かもしれない。

  「・・・くそっ。何か腹立つ」
  剣呑な空気を纏った呟きに、張は片眉を持ち上げて、面白そうにを見やった。
  未だ殺気を抑え切れないは、このままロアナプラの町に出て行けば、肩がぶつかっただけで相手を殺してしまいそうな気配すら漂わせている。
  飄々と、張は唇に笑みを浮かべた。
  「あいつらの狙いが俺なら、俺の傍に居た方が、楽しめると思うが?」
  張の言葉に、が呆れたように笑う。
  「それで、誰が得をする?」
  「もちろん! 俺さ!!」
  大袈裟に手を広げて言い切った張に、がやっと表情を緩めた。
  「だと思った」
  「黒狼がついてると思えば、俺も心強い。何より、、お前が傍にいれば、俺が楽しめるしな」
  「・・・・・・・・・」
  言葉を失ったにニヤリと笑って、張は離れて立つ彪に声をかけた。
  「そんなわけで、俺の警護は黒狼に任せるから、二人っきりにしておいてくれ」
  「・・・分かりましたよ」
  心なしか赤くなっていると、相変わらず飄々としているボスとを交互に見て、彪は苦笑を浮かべて部屋を後にしたのだった。





















     serenade / 狂気の世界 より 「哀れな子羊を血祭りに」
 大切なもののためなら、何だって・・・・・・

Photo by 塵抹

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