"張維新(チャン・ウァイサン)がネコを飼い始めたらしい" ロアナプラでここ最近、囁かれている噂だ。
ロアナプラの街を割拠する四大勢力の一つ三合会(トライアド)タイ支部のボスとネコ これほど馬鹿馬鹿しい絵があるだろうか?
あの男が、銃ではなく、ネコを抱いていたら それこそ、ロアナプラの終わり、世界の終焉だ。
もし、それが現実なら 俺は、暴力教会で神に祈ってやるさ、アーメン。
C'mon , baby !
「旦那!ネコ飼い始めた、ってのは本当か?」
ダッチは、飲んでいたコーラーを噴出した。
これだけ実しやかに囁かれている噂の真相を、まさか直球で聞くバカが居ようとは・・・・・・
「へぇ、張さん、ネコ飼ってるんですか? 意外だなぁ」
ジーザス・・・・・・類稀なるバカが、ここラグーン商会に二人も居た。ダッチはガックリと肩を落とした。
一方、レヴィとロックに尋ねられた張(チャン)は、サングラスの奥で幾分楽しそうに片眉を上げた。
「ネコじゃないぞ・・・ネコに見えても、あれは狼だな」
「狼!!?」
興味を引かれたレヴィの瞳が輝く。
「狼なんて、本物見たことないぜ?! 本当にいんのか?!!」
「狼って、イヌ科ですけど・・・?」
レヴィとロックらしいコメントに、張は唇を歪めて笑った。
「そうだなぁ・・・見た目はネコだが、あいつには"牙"がある。獲物を狩る、な。だから、狼だろうよ、確実に」
そう言って、張は楽しそうに高級煙草(ジタン)に火を点けた。
荷物を引き取りに、ラグーン商会まで張が出張ってくることは珍しい。それも、そうそう重要とは思えない荷物の為に、だ。
小脇に抱えて持ち運べるほどの小さな積荷を受け取るためだけに、張は今、ラグーン商会のソファーに座っている。
「近くまで来たから、受け取りに寄った」と言って突然現れた張に、ベニーが港まで慌てて荷物を取りに走っている。
張は、煙草の煙を吐き出した。
「・・・まだ小さいが、あいつは今に立派な狼になるぜ・・・・・・楽しみだ」
そう言って張は笑った。
「・・・・・・・・・張さんって、親馬鹿になるタイプだったんですね・・・」
「・・・・・・・・・明日は雪でも降るか・・・?」
「・・・・・・お前たち、俺のことを何だと思ってるんだ?」
ロックとダッチの呟きに、張は飄々と肩を竦めて、煙草をもみ消した。
「なぁ、なぁ、旦那!! 狼ってのは、どんななんだ?!」
レヴィが張の前に身を乗り出して尋ねた。レヴィはすっかり狼の存在に心を奪われているらしい。
「小さい、ってことは、まだ子供なのか? 色はどんななんだ? 大きさはどれくらいだ? 強いのか? 牙はどんななんだ?」
矢継ぎ早に質問を繰り出すレヴィに、張も思わず苦笑を浮かべた。
「・・・そんなに気になるか、二挺拳銃(トゥーハンド)」
「あぁ。狼なんて、生まれてから一度もお目にかかったことがないからな!」
「・・・そのうち、紹介してやるよ。ラグーン商会の面々にも、な」
そう言って、張は唇を吊り上げた。レヴィは、興味深々な顔で頷いている。
「・・・・・・レヴィ・・・狼相手に勝負挑もう・・・とか、思ってないよね?」
「いいだろ? 減るもんじゃなし!!」
「ダメだって・・・張さんの飼ってる狼なんだから・・・」
ロックの心配は的中し、レヴィはいてもたってもいられないらしく、目を輝かせている。せっかくのロックの忠告も耳に入らず、妄想に思いを馳せているらしく、レヴィは舌なめずりでもしそうな凶悪な顔を晒している。
そんなレヴィを見て、張が不敵に笑った。
「・・・二挺拳銃、うちの"黒狼"を甘く見るなよ・・・油断してると、その喉掻っ切られるぞ」
「旦那、この世界、喰うか喰われるかだ・・・ネズミだって、それくらい理解してるぜ」
「そうか。それなら、アイツの気さえむけば、いつでも連れてきてやるよ」
そう言って、二人の拳銃遣い(ガンスリンガー)は笑いあった。互いに不敵に笑いあう二人を見て、ダッチの背中に冷たい汗が浮かぶ。
事務所の気温が心なしか下がったような気がして、ロックが壊れかけたクーラーの温度表示を確認しようとしたとき、事務所のドアが開き、息を切らせたベニーが包みを抱えて入ってきた。
「お待たせ・・・・・・って、どうしたの?何かあった?」
「走らせてすまなかったな、ベニー」
大袈裟に腕を広げて歓迎のジェスチャーをして、張が立ち上がった。さっきまでの笑みではなく、顔にはいつもの飄々とした笑顔を浮かべている。
「三合会(トライアド)の張の旦那ともあろう方が、直々に受け取りにくるんだから、当然でしょう」
営業トークを喋りながら、いつものスマイルを浮かべて、ベニーが包みを張に手渡す。
張は、包みを受け取ると、用は済んだとばかりに扉へと向う。
「・・・・・・・・・張さん、電話一本入れてくれりゃぁ、誰かに届けに行かせるような代物を、あんたが取りにくるとはね」
ダッチの言葉に、振り返った張は、剽げた仕草で肩を竦めてみせた。
「うちの狼に、プレゼントしてやろうと思ってな。首輪は嫌だとぬかしたもんでね」
そういうと、張はひらひらと手を振って出て行った。
その背中が扉の向こうに消え、エントランスから黒塗りの車が走り去ってから、漸くロックが口を開いた。
「ダッチ・・・あの包みの中って、ドックフードか何かかい?」
煙草を咥えて、一服吐き出してから、ダッチが答えた。
「いいや・・・・・・オートクチュールのナイフ」
「えっ!!?」
思わず聞き返したロックに、メガネのフレームをあげながらベニーが答えた。
「・・・それと、インド産の絹で作った高級ドレス」
「「えぇ??!」」
思わず声をあげたロックとレヴィに、ダッチとベニーは溜息を吐き出した。
「わざわざ取りに来るとは・・・・・・よっぽど惚れてるんだろうね。張の旦那は、その"狼"に」
「・・・・・・そのようだな・・・クソッ! 俺は、神に祈らなきゃいけなくなったらしい・・・アーメン」
「・・・・・・・・・狼、だなんて・・・張さんらしいというか、何と言うか・・・・・・」
ベニーとダッチの言葉に、漸く事情を飲み込んだらしいロックが、日本人特有の曖昧な笑みを浮かべて呟いた。
一人、レヴィがつまらなそうに吐き捨てた。
「何だ・・・狼じゃねぇのかよ。つまんねーの」
不貞腐れたようにレヴィがソファーに倒れこむ。ダッチは新しい煙草に火をつけた。
その狼が"黒狼"と呼ばれる凄腕の暗殺者である可能性は、まだレヴィには黙っておこう・・・・・・そうすれば、この街は幾分か平和なはずだ .
今日も暑くなりそうなロアナプラの空を見上げて、ダッチは紫煙を吐き出した。
部屋のドアを開ければ、出かけたときと同じようにベッドの真ん中で丸まったままの狼がいた。
出て行く姿を誰も見ていなかったし、いつもと同じならまだ部屋にいるだろうと踏んでいたが、正解だったらしい。
相変わらずベッドのシーツに埋もれて丸まっている黒い狼に手を伸ばす。
「・・・・・・いつまで寝てるつもりだ?」
問いかけても返事はなく、張(チャン)は幾分乱暴にその頭を撫でた。
「ん〜〜」
「おい、」
不機嫌そうに呻いて、寝返りをうったその首筋に顔を近づける。
昨晩、張のベッドに潜り込んできたときには確かに感じられた血の匂いは、今はほとんど分からない。
昨日は誰を狩ってきたんだ? .
そう訊けば、答えてくれるだろう。だが、それを訊かないと決めたのは、張自身の我儘だ。
聞いてしまえば、気になってしまう。気になってしまえば、狩に手を出さない自信はない。それが大切に思う故の行動だったとしても、そんなことをすれば、この誇り高き狼はもう二度と張に気を許したりしないだろう。そんなこと、我慢ならなかった。だから、訊かないと決めた。
それでも、死神の気配を色濃く漂わせながら、狩の後には必ず張のベッドに潜り込んでくるのだから、気になってしまう。
「・・・おい、。起きないなら、このまま首に噛み付くぞ」
「ん〜〜もう、少しだけ・・・・・・」
まだまだ少女の域を出ていないような彼女の首筋に唇を寄せれば、幾分くすぐったそうに呟いて。
また穏やかに寝息をたてだす彼女に、張は思わず苦笑を浮かべる。
サイドテーブルに置かれた包みのことを囁けば、彼女はすぐに飛び起きるだろう。
間違いなく、ナイフの方を喜ぶんだろうな・・・・・・。
それが少し悔しい気がして、張はもう一度、彼女に顔を近づけて囁いた。
「・・・起きないと、本当に噛み付いちまうぞ」
反応がないことを確認して、張は彼女の唇に口付けた。
昨晩と同じ、彼女の唇は、微かに血の味がした。
46音で恋のお題より「狼さん、いらっしゃい」
たとえ その牙が鋭かろうと、愛してしまえば愛おしい・・・・・・
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