呼ばれた気がした。
たぶん気のせいだ。
だって、ここは冷たい水の中で。
聞こえた気がした声だって、もう存在しない人の声だったのだから。
だからきっと、気のせいだ。
それとも、彼女が俺を迎えにきたのだろうか?
そうかも知れない。
だってもう、あんなに熱かった火傷の傷も、あんなに痛んだ体も、何も感じないのだから。
ああ、でも、カレンは俺が殺したのに。
それなのに、迎えになんて来てくれるわけがない。
だから、やっぱり、俺の気のせいだったんだ。
徐々に暗く濁っていく意識の中で、もう一度呼ばれた気がしたのも。
暖かい手が俺の右手を握り返してくれた気がしたのも、全部全部、俺の気のせいだったんだ .
右手の中に幸せをつかまえた
「いつまてもウジウジしてんな!!」
パコーン。
威勢のいい音とともに叩かれた頭を抑えて俺はしゃがみこんだ。
「いってぇなぁ!!なにすんだよっ!!」
「いつまでもいつまでも、ウジウジウジウジしてられると、ムカツクんだよっ!」
涙目のまま見上げれば、えらそうに腕組みをした女が一人。
その手に握られている凶器はハリセンだ。(いまどきハリセンなんて滅多にお目にかかれない。特に、科学技術の進んだウルバークスじゃ、絶滅危惧種だ!)
俺の不満そうな顔を鼻で笑い飛ばし、はうんざりしたように俺を見下ろす。
「不景気なツラで、三歩進んでは溜息吐かれちゃぁ、まわりの人間に迷惑」
ぴしゃりと言い放った。
は、何も言い返せない俺をしばらくそのまま観察でもするかのように見下ろしていたが、諦めたように溜息をついた。(言った本人がため息吐いてんじゃねぇよ!)
「ったく、ただでさえタスクの襲撃からこっち、暗い雰囲気だってのに、ギンガまでそれ?!」
呟きながら、は手にしていたハリセンを背中にしまう。(って背中?!そんな収納スペースないだろっ?!どこに仕舞ってんだ、ってか持ち歩いてんのかっ?!!)
「・・・・・・仕方ないだろ?」
「はっ?仕方ない?馬鹿なこと言わないで」
は床に置いていた本の山を持ち上げた。
「やれることはいっぱいあるんだから」
そのまま、本の山を抱えて俺を追い抜いて行こうとする。
「何だよ、それ・・・・・・」
ふてくされて呟いた俺の横で止まって、また冷たい視線。(そんな目で見んなら、わざわざ止まんなよっ!)
「怪我人の看護、瓦礫の撤去、危険物の隔離、壊れた建物の修繕、タスクの動向の調査、見張り、現状の把握、他境域への援助要請、再攻撃への防御案検討、研究結果流出の有無の確認、それから 」
「あ〜〜〜分かった分かった!!」
「なら結構。落ち込んでる暇はウルバークスには無いの!」
耳を塞いで立ち上がった俺に、は満足したように頷いてみせた。
「で、は何やってんだ?」
並んで廊下を進みながら訪ねる。
単に雨風を避けて本を運んでいるだけかと思っていたのだか、が抱えているのが本ばかりでなく、古びたノートやら訳の判らない数式のようなものが書きなぐられた紙の端切れまで様々だったものだから、俺は興味を覚えて聞いてみた。
「ん?私は、後悔を少しでもしないための悪足掻き」
「どういう意味だ?」
さらりとは言った。聞き返せば、慎重に言葉を選ぶように、彼女は口を開く。
「どう足掻いたって、変えられるものは、少ない・・・・・・過ぎてしまった時間、起こってしまった出来事、失ってしまった多くのもの、命だったり、体の一部だったり、それらを取り戻すのは、どんなに望んだって、無理」
廊下を並んで、ゆっくりと進みながら、はゆっくりと言葉を選ぶ。
「『今』も、変えるのはとても難しい。だって、もう変えることのできない『過去』から脈絡と続いてきた『今』だから」
俺の足音と、破壊された壁を修復する音が、廊下に響いている。
「だけど、もしかしたら、未来は変えられるかも知れない。『今』から、『過去』から続いている未来だけど、まだ起こっていないのなら、可能性は、残ってるかも知れない・・・・・・それなら、少しでも後悔しないように『今』を生きるしかない・・・違うかしら?」
「、お前、まさか・・・?!」
止まった彼女につられるように、俺も足を止めていた。廊下の奥、一番ひどく破壊された、その部屋 .
「勘違いしないで。エリックの無念を晴らそうとか、ウルバークスの力を見せ付けるためとか、そんな理由じゃないから」
「お前、まさか、『エクスマキーナ』を、造ろうっていうんじゃないだろうな?!」
まだ瓦礫の多い部屋の中へ入ろうとするを引き止めて、俺は叫んでいた。
「あれは、失敗だったんだ!制御できない力は、さらなる悲しみしか生まない!!」
「知ってる、解ってる。だから、ヴェンダー博士の研究を根本から見直す。制御できる範囲で、スピリットの合成を行う」
「できるわけないっ!!」
「だから、悪足掻き」
どこまでも冷静なに、頭に血の上っていた俺も、言葉を失った。
「悪足掻きなのよ、これは。でも、未来への希望でもある・・・・・・・・・答えて、ギンガ。タスクの狙いは?」
「・・・・・・タスカーの復活・・・」
「タスカーが復活したら?」
「復活したら・・・・・・・・・世界が、滅びる・・・」
すっかり冷えた頭で、呟いた俺の言葉に、は肯いた。
「そう。だから、それを阻止するための、時間稼ぎになればいい。勝てなくていい、タスカーにやられてかまわない。少しでも、この世界が、一秒でも長く、存在していられるなら、それでいい・・・・・・だから、これは悪足掻きなのよ」
そう言うと、は部屋の中へと進んでいく。
呆然とその背中を見送っていた俺の前で、瓦礫に引っかかって、がバランスを崩した。
ガシャンという派手な音と、悪態を吐く声に我に返れば、瓦礫の中、盛大に本や紙切れをばら撒いたその中心に、が埋もれていた。
「大丈夫か?」
慌てて駆け寄ると、「痛いっ!」と不機嫌な返事が返ってきた。近づいた俺に向けて、が左手を差し出した。
「起こして」
その手を取り、力を入れて引っ張れば、ふらふらとが立ち上がった。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないっ!!車椅子が壊れた!!まだ上手く歩けないのに、どうすんのっ!!?」
「って、お前が悪いだろ?こんなに障害物多いところ、車椅子で通ろうとするんだから」
まだ、未来は訪れない。
それなら、後悔しないために『今』を生きる。
少し後ろ向きでも、多分それは、下を向いて泣いているより、ずっと可能性が広がるはずだから。
アトガキ
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