アタシは、彼を愛してはいけない。
彼は、アタシの家族を殺した男だから。
けっして、愛してはいけない。
愛したら、アタシはもう、彼を許してしまうから。
絶対に、許してなんてやらない。
これが、アタシの復讐。
これが、アタシへの罰。
「雨、降ってる」
「そうだな」
「それでも行くの?墓参り」
「当然だ」
「あっそう」
当然のようについてこようとしたに、ランチアは足を止めた。
「ついてくるのか?」
「ええ」
「雨、降ってるぞ」
「知ってる」
何でもないことのように言って、は扉を開けた。
諦めて出ようとしたところで、傘が一本しかないことに気付いたランチアが、立ち止まった。
「傘、一本しかないぞ」
「あっそう」
言って、にやりとが笑った。
「相合傘でも、してく?」
「・・・・・・いや、俺はいい。お前が差せ」
そう言って、傘を押し付けて、ランチアは雨の降る中へ、足を踏み出した。
背後で傘が開く音を聞きながら、ランチアは雨に濡れて、息を吐いた。
前を歩く背中を見つめながら、は息を吐いた。
すでに、黒いスーツの肩が濡れ始めている。
(これで、いいのよ、これで・・・・・・)
そう思いながらも、心が重い。
相合傘なんて、あのランチアが受け入れるはずがないことなんて、分かっていたはずだった。
彼は、罪の意識を背負っている。の父を殺し、の家族同然のファミリーを殺したことに、彼は深い自責の念を抱いている。そのランチアが、罪の意識を抱いている対象であると同じ傘の下に入るなんて、出来るはずがない。それぐらい、も分かっていたはずだ。
相合傘なんて、が提案できるものではないことも、分かっていたはずだった。
は、父を殺した、家族同然のファミリーを殺したランチアを、憎んでいなければならないのだから。そんな男と、同じ傘の下に入るなんて、出来るはずがない、出来てはいけないのだ。
(なのに、あの瞬間、アタシは、ランチアと並んで歩けることを期待した・・・・・・)
言い聞かせる。許してはいけない、昔抱いた感情を思い出してはいけない、けっして、愛してはいけない .
心の中で繰り返しながら、それでも前を歩く背中が徐々に湿っていくことに、涙が出そうになる。
は、とうとう足を止めた。
後ろを歩くの足が止まったことに気付いて、ランチアも足を止めた。
「アタシ、今日はついてくのやめるわ」
「そうか。だったら、帰ってろ」
「いやよ。せっかく出てきたんだもの。珈琲でも飲んでくわ」
そう言って、は角に建つカフェを指差した。
「終わったら、迎えに来て」
傘を押し付けようとするに、首を振った。
「俺はもう濡れている。傘は、お前が持っていろ。先に戻って構わん」
「いいから!墓参り終わったら、迎えに来なさい。逃げたら、承知しないから」
ギロリとランチアを睨んで、は傘をランチアに押し付け、カフェへと走っていった。
(逃げるわけがない。逃げる理由が、どこにある・・・?)
がカフェへ入っていくのを見届けて、ランチアは墓場へと足を向けた。
(もう、ランチアは戻ってこないかもしれない )
ふっとそんなことを思った。
吸いかけの煙草に手を伸ばして、すでに火が消えていることには軽く舌打ちをした。
代わりに注文した珈琲に手を伸ばしたが、すでに冷え切ったそれに口をつけることなく、はソーサーに戻した。
降る雨に、通りを歩く人もなく、街は静かに時間の流れに身を任せている。
(ランチアは、もう戻ってこない )
再び浮かんだ考えに、はゆっくりと目を閉じた。
そうに違いない、そう思った。何故なら、はランチアにとって重荷でしかない。自分が殺したボスの遺児と一緒にいたい人間が、この世にいるだろうか?いるわけがない。いつ復讐されるかと、気が気で夜も眠れないだろう。
では、ランチアは眠れていないのだろうか?この考えに、は苦笑を浮かべた。
ランチアは強い。ファミリーを皆殺しに出来るほどの男が、銃さえもまともに撃ったことのない小娘一人に怯えるはずがない。いつだって、返り討ちに出来る。
(だからか )
だから、ランチアはの同行をはっきりと拒まなかったのか。いつでも殺せるからと。
もしくは、いつでも殺されてやる、とそう思ったからなのか。だから、逆に夜ぐっすり眠れているのだろうか?
雨の音を聴きながら、はぼんやりと通りを見つめた。
むしろ、眠れていないのはランチアではなくて、の方かも知れない。ずっと想っていた人が戻ってきたことに、胸は弾むと同時に、どうしようもない不安を感じた。また、いなくなるんじゃないか、また、自分の目の前から去ってしまうんじゃないか、と。そして、そう思って不安に苛まれる自身に、怯えた。だって、ランチアを想ってはいけない。彼は、自分の父の仇だ。自分の家族同然のファミリーを殺した男だ。そんな男に、自分が心を寄せていいはずがない。
(ランチアが戻ってこなければ、こんなふうに苦しまなくて済む・・・だから、アタシは一人で行かせたのか・・・・・・)
新しい煙草に火を点けた。湿ったそれはなかなか燃え上がらず、煙が目に沁みた。
この煙草を吸い終わったら、戻ろう。ランチアは、来ない。それでいい。ランチアにとって重荷でしかないアタシは、彼に置いていかれて当然だ。誰も、ランチアを責めたりしない。ランチアはよくやった。自分が殺した遺族のもとを謝罪して回るなんて、なかなか出来ることじゃない。ランチアは、よくやった。誰も彼を褒めないなら、アタシが褒めよう。アタシが称えよう。ランチア、あんたは凄い男だよ。アタシが好きになった男だもの、当然だ。もう、ランチアのことを想って夜を越えるのをやめよう。アタシは、ランチアを許さない。それでいい。その方が、いい。そうやって、生きていこう。
(煙草、目に沁みる・・・・・・)
滲む涙が、一筋頬を伝った。
「・・・何をしている?」
煙草の煙を吐き出したが、のろのろと顔を上げた。
「こんなところで、何をしているんだと訊いている!」
「・・・・・・見ての通り、珈琲飲んで、煙草吸ってる」
「そうじゃない!!こんな雨の日に、テラス席に座るなど、どういうつもりだ!!」
「・・・そういう気分だったの。悪い?」
投げやりに言って、は煙草を灰皿に押し付けた。水が溜まった灰皿に、煙草の灰が白く広がる。
通りに面したテラス席にも一応張出した簡易な屋根はあるものの、雨を防ぐには不十分なそれに、雨の日にはこの席が使われていないことを物語っている。
防ぎきれない雨がテーブルを濡らし、珈琲の中にも雨粒が落ちている。それを注文した人物も、同じように雨に濡れている。
「風邪をひく。少しは考えろ!」
「・・・ひいたって、ランチアには関係ないでしょ・・・・・・・・・それより、戻ってきたのね」
「ああ。約束したからな」
「そう・・・・・・なら、さっさと戻るわよ」
言ってが席を立った。カフェの店長らしき男が、店の中からこちらを見て、安堵の息を吐いたのが分かった。それもそうだろう。若い女が一人、雨に濡れながら珈琲を注文したら、何事かと思うだろう。
ランチアは、小さくその男に頭を下げた。
(あの男には、俺たちはどんなふうに見えているのだろうな・・・・・・)
不意に、そんなことを思った。思わず緩みかけた口元を引き締めて、ランチアはに傘を差し出した。
胡散臭そうに、が一瞥しただけで、さっさと歩き出す。
「いらないわよ。もう、びしょびしょだから」
「俺も、同じようなものだ」
言って、ランチアはの隣に並んだ。が濡れないように、彼女の上に傘を差す。
ちらりとがランチアに視線を投げた。
「ランチアが濡れてるわよ」
「構わん」
「・・・・・・勝手にして」
そう言って、はずんずんと歩いていく。
相合傘とはお世辞にも言えない。ランチアは完全に傘の外だ。
それでもお互い、表情は怒ったような顔をしながらも、心の中では満足だった。
俺は、あいつを守らなければいけない。
あいつの家族を奪ったのは、俺だから。
けっして、不幸にしてはならない。
不幸にしたら、俺は、詫びても詫びきれない。
絶対に、あいつを守り、幸せな姿を見届ける。
これが、俺の贖罪。
これが、俺への戒め。
優しい雨
アトガキ
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