「日本へ行ってくる」
  ランチアの突然の言葉に、驚かなかったと言ったら嘘になる。
  でも、自分はどこかで何かを覚悟していたような気がする。
  ここ数日、ランチアはどこか心ここにあらずだった。
  彼自身は上手く誤魔化せていると思っていたかも知れないが、そんなもの、ずっとランチアを見ていた自分にとっては、簡単すぎる変化で       は口を開いた。
  「何のために?」
  「・・・・・・判らない・・・だが、行かなければならない」
  「・・・・・・・・・そう」
  遺族としてのなら、何と言うだろうか       は内心で苦笑した。
  考えるまでもない。とても簡単だ。
  逃げ出すつもりか、と。やはりお前は裏切り者だ、と。
  そう言って、ランチアを責めればいい。追い詰めればいい。
  だが、には、それに対するランチアの反応も、手に取るように分かった。
  ランチアは、ただ黙っての言葉を受け止めるのだ。そして、日本へ向かう。
  投げつけられた言葉で、どんなに傷ついていても、何の言い訳もせずに、ランチアは日本へ行く。
  を残して。
  は小さく息を吐いて尋ねた。
  「いつ発つの?」
  「明朝、だが・・・・・・」
  驚いた様子で、ランチアが答えた。
  それはそうだろう。
  ランチアは、に責められると思っていたに違いない。
  当然だろう。
  ランチアは、にとって憎い仇なのだから、浴びせられる罵声の十や二十は覚悟していたに違いない。
  それをあっさりと、が日本行きを容認するようなことを言ったものだから、ランチアは驚きを隠せなかった。
  「・・・・・・いいのか?」
  思わず漏らされたその言葉に、は苦笑を浮かべた。
  「何言ったって、日本へは行く気なんでしょう・・・」
  「・・・すまない」
  呟かれたランチアの言葉に、は表情を誤魔化す為に煙草を取り出した。
  ランチアにとっては、自身が殺したボスの娘でしかない。
  多くの遺族のうちの一人に過ぎない。
  が何を言ったって、自身の言葉はランチアには届かない。
  の言葉は、すべてランチアを責める言葉へとすり替わる。
  (・・・・・・やるせないわね・・・・・・)
  目を伏せるランチアに背を向けて、は窓に向かった。
  「・・・勝手にすればいい。日本でもどこでも行けばいい。誰もあなたに、贖罪を強制してるわけじゃないんだし」
  ランチアの謝罪をかき消すように、は音をたててライターに火をおこした。
  外へ向かって紫煙を吐き出す。
  背後で、黙って一礼して隣室へと消えていくランチアの気配を追いかけながら、は雲の多い夜空を見上げて溜息を漏らした。
  火をつけた煙草は、結局そのまま灰になっていった。





















  夜、深夜も過ぎ、もう数時間で朝日が昇りだすそんな頃、ランチアは暗闇で目を開けた。
  眠っていなかったわけではないが、その気配に自然と意識が覚醒した。
  (・・・やはり、来たか・・・・・・)
  扉のすぐ向こうに、人の気配を感じた。
  微かに香るメンソールの匂いが、それが誰であるかを教えている。
  (・・・・・・・・・・・・)
  に殺されることを望んでいた。
  の仇として討たれることを受け入れていた。
  だが、今は駄目だ。
  どうしても、日本へ行かなければならない。そうしなければ、必ず後悔することになる       そう何かが頭の中で呟いている。
  (・・・さて、どうするか・・・・・・)
  先ほど、ランチアが日本へ行くと言ったとき、は引き止めなかった。
  それは、ランチアが結果的に日本へ行くことはないと考えたからに違いなかった。
  今夜、仇を討ち、ランチアを殺してしまえばいい、そう考えたからに間違いなかった。
  は銃を使うだろうか? それともナイフ?
  どちらにしろ、素人のがランチアを殺すためには、その扉を開いて、ランチアに近づく必要があるはずだ。
  そのときを狙って、を押さえ込む。
  きっと、話し合いでは分かってもらえないだろうから、無理矢理意識を奪って、その間に日本へ向かうしかない       そう考えてランチアは苦笑した。
  (・・・・・・これでは、ますます信用されないな・・・・・・)
  以前のような信用を取り戻すことは無理だと分かっていても、それはそれで何だか寂しかった。
  扉が、ゆっくりと開いた。
  ランチアはじっと、暗闇の中でが室内へ踏み込むのを待った。
  しかし、は部屋の入口付近に立ったまま、動く気配がない。
  ランチアが疑問に思い始めた頃、が口を開いた。
  「・・・ランチア、起きてるんでしょ?」
  声をかけられたことに、ランチアは驚いた。
  いくら素人のでも、今から殺そうとする相手に向かって呼びかけるなんて信じられなかった。
  「ランチア」
  「・・・・・・・・・ああ。どうした?」
  数瞬悩んでから、ランチアは暗闇の中から姿を現した。
  闇の中で、の右手が動いた。
  咄嗟に身構えたランチアの横に、硬い音をたてて何かが転がった。
  弱く光を反射したその金属は、しかし、ランチアが危惧したような殺傷能力のある武器などではなかった。
  「これは・・・!!?」
  「あげるわ」
  拾い上げて、息を呑んだ。
  「駄目だ!! 俺には受け取れない!!!」
  「じゃぁ、捨てておいて。アタシもいらないから」
  「! これは、ボスの形見だ!! そんなこと、俺が出来るわけ!!!」
  ランチアは声を荒げた。
  手の中にある冷たい金属       それは指輪だった。
  生前、ボスの、の父の指にいつもあった指輪だった。
  代々ボスが受け継ぐ証だった。
  「駄目だ、・・・・・・これは、お前がもつべきだ・・・・・・」
  「イヤよ」
  搾り出したランチアの言葉を、はあっさりと否定した。
  「生前の父の言葉よ。自分に何かあったら、ランチア、あなたにコレを渡せ、と。だから、この指輪はあなたのものよ」
  「駄目だ・・・・・・俺は、受け取れない・・・資格がない・・・持てるわけがない・・・・・・」
  「そう。じゃぁ、処分するわ」
  淡々と告げるに、ランチアは悲鳴をあげた。
  「!! これは、ボスの、お前の父親の形見だぞ!! それを、そんな簡単に!!!?」
  「だって、アタシはマフィアじゃない」
  静かに告げられた言葉に、ランチアは言葉を飲み込んだ。
  「マフィアじゃない人間が、持ってていいものじゃない」
  その通りだ。
  このリングは、代々ボスが持つものだ。
  すでにファミリーはないとは言え、このリングを持つことはマフィアにしか許されない。
  マフィアでないが持つことは許されず、もしもが持つのなら、それはがマフィアとなるのと同意語だ。
  (・・・・・・それだけは・・・!!)
  には、闇の世界で生きて欲しくなかった。ボスも、それは望んでいなかった。自身も、ファミリーの仲間たちも、は家族であっても、マフィアの仲間となることを誰一人、望んではいなかったはずだ。
  ランチアは、リングを握り締めた。
  「本当、ランチアの好きにしてもらって構わないから。別にそれだけが形見じゃないし・・・・・・それに、形見なんて・・・・・・」
  暗闇で、の顔は見えなかった。けれど、何故か、が泣いているような、そんな気がした。
  「・・・・・・・・・?」
  ランチアの呼びかけに答えず、は背を向けた。
  「・・・・・・リングを渡したこと、父の墓前へ報告に行く・・・・・・」
  「・・・・・・・・・だが、これは・・・俺が持っていることを許されるものじゃない・・・・・・」
  闇の中で呟いたランチアは呟いた。
  どうしたって、無理だった。
  が持つことも許されず、ランチア自身が持つことも許されない。しかし、ランチア自身が壊滅させたファミリーに、すでにこのリングを持つに相応しい人間はいない。
  「・・・・・・そう。だったら、どうするのか・・・父へ報告に来なさい」
  の言葉に、ランチアは顔を上げた。相変わらず、背中を向けたまま、が言った。
  「日本から戻ったら、すぐに。そこで、アタシもあなたの答えを聞くから」
  「・・・分かった」
  「・・・・・・ランチア、あなたの死に様を、アタシに見届けさせなさい」
  そう言って、が後手に扉を閉めた。
  静まり返った部屋の中で、ランチアは手の中に残されたリングに目を落とした。
  雲が晴れたのか、一筋の月明かりが差し込んで、リングを照らした。
  それは確かに、あの懐かしい日々の名残だった。
  閉められた扉のすぐ向こう、未だ立ち去ろうとしない気配に、ランチアは言葉を紡いだ。
  「・・・・・・必ず、その目に見せると約束しよう」
  「・・・・・・・・・今度は、あんまり待たせないでよね・・・」
  扉の向こうから返ってきた言葉に、ランチアは僅かに微笑を浮かべて頷いた。
  「ああ・・・日本に長居するつもりはない。すぐに戻る」
  「・・・・・・信じるわよ、その言葉」
  「ああ。必ず」
  しっかりとランチアは頷いた。











わすれてもいいから今だけは











 アトガキ
  ランチアがツナに渡した指輪について。
  お前が信じると言った・・・それは、それ以上の意味を持つ。

Photo by 水没少女

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