なぁ、・・・お前は今、幸せか? .
幾度そう彼女に問いかけただろう?・・・・・・その度に、彼女はうっすらと微笑んだ。
もちろんよ、だって、あなたの傍にいられるんだから .
キャバッローネ・ファミリーは、若き10代目『跳ね馬』ディーノによって5千のファミリーを抱える巨大一家となっていた。若いディーノを侮って、キャバッローネを潰そうと画策したファミリーの多くは壊滅させられ、僅かは情けをかけられ傘下となった。
・ファミリーも、キャバッローネを襲撃した咎で壊滅させられるはずだった。だが、ディーノは情けをかけた。
その理由が、ここにいる。
ディーノは、溜息を吐いて扉に手をかけた。
部下は、連れてきていない。
正直、彼らは、ディーノがに情けをかけたことを、あまり快く思っていない。ロマーリオあたりは快く思っていないが、ディーノの気持ちを酌んでくれている。それだけでも、ありがたいと感謝しなくてはならないだろう。
ぐぐぐっと力を入れて、扉を押す。重たい音をたてて、ゆっくりと扉が開いていく。
僅かに開いた扉の中から、ピアノの旋律が聴こえてきて、ディーノは目当ての人物が中にいることを知る。
(・・・ここ以外に、行くところなんてないのに・・・・・・ピアノの音が聴こえることに安堵する俺がいる・・・)
聴こえていたのは、彼女の名前を題名に持つピアノ曲 どこか悲しげなこの曲を彼女は好んで演奏する。
扉が開く音に、ピアノ越しに彼女が視線を上げて、入ってくるディーノと目があった。
微笑んだ彼女から目を逸らして、ディーノは扉を閉めた。
再び彼女の方を向いたときには、彼女はすでに鍵盤へと視線を落としている。
扉に寄りかかったまま、ディーノは彼女の奏でるピアノに、耳をかたむける。
悲しげに、寂しげに、聴こえるのはディーノの気のせいだろうか?微笑みすら浮かべて、彼女は鍵盤に目を向けているというのに。
勝手に出歩くことすら許されない。部屋の扉には、常時外から鍵が掛けられているし、開けるときには重たい音が響く。
ここは、牢獄だ。
「そんなところに立ってないで、お掛けなさいな」
いつの間にかピアノの音が止んでいた。
ピアノの前に座ったまま、微笑を浮かべて、彼女がディーノを見つめている。
「何か、お飲みになります?」
「そうだな・・・」
「それでは・・・紅茶でも良かったかしら?」
そう言って、彼女は棚へ向った。ソファーに腰掛けて、ディーノは視線でその後姿を追う。
昔から美人だったが、しばらく会わないうちに、随分と綺麗になった。
久しぶりに再会して、ディーノの心を攫っていった女性 ・。
「ちょうど昨日、厨房にお願いして、新しい茶葉を貰ったところなんです」
茶器を持って、が戻ってくる。
「だから、安心してください。毒なんて、入ってませんから」
そう言って微笑んで、はテーブルにポットを置いた。
「お湯も、さっき女中さんに貰ったものですから、大丈夫ですよ」
「そんな心配してねぇよ」
「あら、ダメですよ?あなたは、キャッバローネのボスなんだから、少しは警戒しないと」
そんなことを口にしながら、は紅茶を注ぎ、先に一口飲んで見せた。
「ね?大丈夫でしょ」
「だから、初めから心配してないって」
ディーノも紅茶に口をつけた。ほのかに香るハーブの香りが心地よい。
顔をあげれば、向かいのソファーに腰掛けたと視線がぶつかった。ディーノに向って微笑む彼女に、ディーノの中の良心がズクリと痛む。
「なぁ、・・・こんなところにいて、幸せかよ?」
「ええ。ディーノには・・・キャバッローネには、本当に良くしてもらってるもの」
「こんなところに閉じ込められてか?」
カップがソーサーにぶつかって、カツンと硬い音を立てた。
「お日様の差し込む窓辺、座り心地のいいソファー、ふかふかのベッド、それにピアノもある。欲しいものだってお願いすれば届けてもらえる。
それに何よりも、ここにはディーノがいるもの」
はにっこりと微笑んだ。
「私は幸せよ。他に、なにがあるかしら?」
「・・・別に、俺は、が逃げても、を潰したりはしない」
をこんなところに閉じ込めていることに、ディーノの中の良心がグズグズと痛んでいる。
先のことを考えれば、にはここにいて欲しくない、今すぐ逃げて欲しい。
そう思う一方で、いつでも手の届くところにがいてくれること、それに安堵し、それを望んでいる自分がいる。
そんなディーノの葛藤を楽しむように、は決してこの牢獄から逃げない。
ディーノがどんなに逃亡を勧めても、たとえ重い扉の鍵をわざと掛け忘れても、次にディーノが来た時には、は変わらずピアノを奏でている。
が決して逃げないわけも、分かってる。
が言うように、ディーノがいるから、という甘い理由ではない。
は、・ファミリーがキャッバローネ・ファミリーに差し出した人質だ。
の造反は失敗した。襲撃は失敗し、・ファミリーはディーノ率いるキャッバローネ・ファミリーに粛清されるはずだった。
だが、・ファミリーのボスは、もう二度と裏切らないという血判状とともに、一人娘である・を人質としてディーノのもとに送り届けてきた。そして、ディーノは・ファミリーに温情をかけた。
そうして、は、キャッバローネ・ファミリーによって、人質としてこの部屋に閉じ込められている。
が逃げれば、キャッバローネ・ファミリーは、・ファミリーを粛清しなければならない。
だから、は逃げない、逃げられない。
「・・・人質なんて、今時はやんねぇぜ?」
「そんな理由じゃないわ。言ったでしょ?私がここにいるのは、ディーノがいるからよ」
そう言って、は日差しが差し込む窓へ目を向けた。
人質と言っても、をジメジメとした部屋に閉じ込めるなんて、ディーノはまっぴらだった。
だから、自由に部屋から出れない代わりに、全ての窓が施錠されている代わりに、日当たりの一番いい部屋を用意し、の居心地のいいように最善をつくした。
だから、この部屋は明るい日差しに溢れている。今だって、鳥のさえずりが聴こえてくる。
ただ、ここには、自由だけがない。
「・・・もしも、に戻ったとしても、同じよ。父の部下に監視されて、自由になんて羽ばたけないわ。
同じように、こうして部屋にこもってピアノを弾いて、日々を過ごしていくだけ。
・・・でも、あの場所には決してないものが、ここにはあるもの」
「・・・・・・いいのか?」
「ねぇ、ディーノ。私、戻りたくないの。ねぇ、お願い、ディーノ。あの場所へ戻れ、なんて言わないで」
「・・・・・・いいんだな?」
「ええ。戻ったりなんかしたら、私、父に殺されてしまうわ。お前は人質の価値すらないのかって・・・」
「・・・・・・・・・そうか・・・」
「だから、ディーノが私の命を、惜しいと思ってくれるのなら、逃げろ、なんて言わないで」
「・・・・・・分かった・・・」
微笑みすら浮かべるを見ていられなくなって、ディーノは顔を覆った。
自分たちのいる世界は、なんて汚い。なんて醜い。
人の命は、なんて軽い。
(あの頃のまま、出会った頃のまま、自分たちのいる世界のことなんて知らずにいたら、、君はそんなふうに笑ったりしなかったか?
あの頃のように、君に無邪気に笑って欲しいと思うのは、俺の我侭か?
マフィアでなければ、俺たちは出会った頃のままの関係でいられたのか?
なぁ、。まだ幼かった俺たちが思い描いた未来は、こんなものだったのか?
違うだろ?違うと言ってくれ、・・・・・・)
「・・・こうやって、ディーノと二人、昔はよく遊んだわね・・・懐かしい。覚えてる、ディーノ?」
「・・・ああ・・・・・・・」
「ふふ。オママゴトの指輪、無くしちゃったって、ディーノ、泣きながら探してた・・・・・・楽しかった・・・」
の視線が窓の外、ふっと遠くを見て、一瞬だけ昔のように笑った。
すぐに名残は掻き消えて、は微笑を浮かべてディーノに語りかける。
「・・・・・・キャッバローネは、いいところよ、ディーノ・・・みんな、とても優しいもの・・・」
「・・・、本当に、今お前、幸せなんだな?」
「もちろんよ。だって、ここにはディーノがいるもの」
うっすらと微笑んだに、ディーノの心がジクジクと痛んだ。
疑いを愛するあなたに
アトガキ
ブラウザバックでお願いします。