「・・・・・・冷えるな」
吐いた息が白く宙に溶けていくのを見ながら、俺は改めてグランドラインの気候の気まぐれさを思った。
もう一度息を吐いて、俺は水筒の温かさを抱くようにして、歩き出した。
こんな静かな夜には、ギシギシと軋む床板が今までの航海を物語るようで .
鈍よりと重たい雲が垂れ込めた暗い夜空を背景に、見上げたマストの上部に灯った明かりを目指して、俺は梯子に足を掛けた。
俺に水筒を渡すとき、妙に機嫌の悪かったアホコックの顔が思い出されて、少々イラつく。
一体どういうつもりだか知らないが 知りたくもないが あのアホコックは、何か勘違いしてるだろう。間違っても、あのアホコックの思っているようなことはない、断じて。
第一、あのアホコックは背骨だってまだ完治していないだろうし、何よりも明日の仕込みがあると言ってたじゃないか。それなら黙って、コックはコックとしてキッチンに収まっていればいいのだ。見張りへの差し入れぐらい、俺が持って行ったって、何の問題もないはずだ 多分。
「よぅ、冷えるな」
「誰かと思った」
ぼんやりとした明かりにも映える銀の髪が、驚いたように呟いた。
「差し入れだ」
「ありがと」
水筒を渡せば、はその温かさを抱きしめて、ほっとしように笑った。
「まだドラム島が近いからね・・・アラバスタが近づけば、もう少し暖かくなると思うけど」
そう言いながら、はいかにも寒そうに首を縮めて震えた。
「とにかく、寒いわ」
「だいぶん温くなってきてるけどな」
「ありえない。全然変わらない。寒すぎる」
「・・・・・・そうだとしても・・・いくら何でもやりすぎだろ」
そう言って俺はを上から下まで眺めた。
ロングコートを着て、マフラーをぐるぐる巻いて顔の半分を覆い、長めの手袋を嵌め、ニット帽をかぶり、さらに耳あてをし、ファーのついたブーツを履いて 自身が見えるのは、その銀の髪と印象的な目の部分だけだ。
ドラム島でも思ったが、どうやらは寒いところが苦手らしい。
何となくそんな気はしていたが 彼女の小麦色の肌は太陽がよく似合う。その辺りが、そんな気がしている理由だと思う。
「寒いんだもの。仕方ないじゃない」
そう言って、は湯たんぽのように水筒を抱きしめ、頬擦りした。
「あー・・・・・・温かいって、しあわせ・・・」
そう呟いて目を細めて笑うは、まるで日向のネコのようだった。
「・・・・・・お前、雪が降ったらコタツで丸まって寝ちまうタイプだろ」
「・・・コタツ?」
「なんだ、知らないのか? コタツ」
冗談だろと再度尋ねたら、はさらに首を傾げた。どうやら本気でコタツを知らないらしい。
「・・・・・・もしかして、お前、夏島の出身か?」
「うん? まぁ、多分」
がどうでもいいと言うように、再び水筒に頬を押し当てた。
「あー・・・しあわせ・・・・・・」
そう呟やくの表情が本当に幸せそうで、思わず口元が綻んでしまった。
「笑わないでよ。ホントに寒いんだもん」
唇を尖らせたに、俺は分かったと頷いた。口元が綻んだままだったのは、致し方ないだろう。
ドラム島では、が寒さを苦手としていることがよく分かった。
は島に着くまでナミの看病のため船内にいたが、島に着いても上陸するのを渋った。
ウソップたちとともに上陸した後も、ずっとビックホーンのドルトン宅で留守番をしていて、雪崩が起きるまで暖炉の前に座っていたらしい。
再び首を竦めて震えながら、が恨めしそうに俺を見上げた。
「サンジくんに勧められて船を降りて正解だったわ。残ってたら、カルガモと一緒に川で凍ってるところだっだもの」
「俺のせいか?」
「そう。ゾロのせい」
「寒がりなあんたが川に飛び込むのか?」
「さぁ? 飛び込むかも」
が肩を竦めてみせた。
サンジがに船を降りるように勧めたのは、ゾロと二人っきりにしたくなかったからだろう。いったい何を心配しているんだか .
「おい!! くそマリモ!! いつまで油売ってやがるっ!!!」
甲板へ続くドアを蹴破るように開けて、下からアホコックの怒鳴り声が響いた。夜も更けた時間に、男連中はともかくビビや病み上がりのナミには五月蝿いだろうに。
「サンジくん、差入れありがとう! おかげで見張り、頑張れるわ」
「さ〜ん!お安い御用です!!」
「まだ仕込中? 明日の料理も、楽しみにしてるから」
「もちろんです! 腕によりをかけますから!!」
声をかけたに、満足そうにアホコックが親指を立てた。格好つけてみせているが、明らかに鼻の下が伸びている。
「明日もさんに美味しい料理を作りますから、楽しみにしててください!!」
「ええ。ありがとう」
ビシッと決めたアホコックに、がにっこりと笑顔を送った。その笑顔に目をハートにしながらも、あのアホコックはキッチンへ戻る前にしっかりと俺にガンくれて行きやがった。
「・・・・・・何だってんだ・・・」
「ん?」
「いや、何でもねぇよ・・・」
聞き返したに、俺は何でもないと首を振った。
再び寒そうに体を震わせてから、は抱きしめていた水筒の蓋を開けた。コポコポと音をたててコップに注ぎ込む。
「はい」
「?」
はズイッと俺に向かって湯気のたつコップを差し出した。
「ゾロも飲みなよ」
「お前のだろ?」
「ゾロだって、寒くないわけじゃないんでしょ?」
温かそうなそれに、考える前に手が伸びていた。
「あ〜、もう、寒くて堪らない!!」
俺にコップを渡したが、水筒を抱きしめた。
「背中! 背中よ!! 水筒抱えてない背中が寒いの!!」
喚くような言葉の後で、背中に重みがかかった。
「おい」
「あ〜、若干、温かい、かも?」
「おい、」
「動かないでよ!」
動きを止めた俺の耳に、の幸せそうな吐息が聴こえた。
「ゾロの僅かな体温でも、温かいのはしあわせなんだから」
「・・・そうか」
「うん。背中が幸せな感じ」
微かな笑いの振動が背中を伝わってきた。その振動につられて、俺も思わず頬を緩めた。
湯気のたつコップに、姿勢を動かさないように注意して、口をつけた。アホコックの心遣いか、苦味の中に少し甘みが感じられて、体の奥から温まっていく。
「飲むか?」
「・・・ゾロがいてくれるなら」
「ああ。心配するな」
背中越しにコップを返せば、水筒から液体が注がれる音だけが聞こえてきた。
伝わってくる体温と体重に、心地好さを感じながら、俺は白い息が昇っていく空を見上げた。
真っ暗な空から、真っ白な光がふわりふわりと落ちてくるのが見えた。
「お・・・」
「うわぁ・・・寒いわけじゃん・・・・・・雪、でしょ?」
が大きく震えて、ぐっとかけられる重みが増えた。やはりは寒さが苦手に違いない。
「・・・しばらく貸してやるよ、背中」
「うん、借りるわ。じゃないと、無理」
背中越しの体温が言葉以上に伝えてきて、俺は再び口元を緩めた。間違いなく、は夏島出身に違いない。
背中合わせ
アトガキ
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