・・・・・・なら、何で君は泣くんだい? 本当はそう思ってないんじゃないのかい? 本当は、まだ心残りがあるんだろ?
  そう尋ねた俺に、彼女は浅い呼吸の下で小さく微笑んだ。
        心残り・・・・・・そうね・・・出会ったことが間違いなら・・・・・・もう一度、最初からやり直せたら・・・・・・って
  でも、無理ね       そう呟いて、彼女は静かに瞳を閉じた。





















  (・・・・・・どうして・・・俺は・・・・・・・・・)
  ディーノは、深く息を吐いて項垂れた。

        それが、私の望み・・・願いだから      .

  (・・・・・・幸せに、したかったのに・・・・・・)
  振り払われた腕に、のうっすらと微笑んだ顔が頭から離れない。

        私は、あなたの負担には、なりたくないの      .

  (・・・・・・・・・どうして・・・・・・)

  どこか傷ついたように笑った       あんなふうに笑ったのは、が傷ついていたからだ。傷つけたからだ。
  記憶をなくす前のも、よくあんな微笑を浮かべていた。

  (記憶をなくす前のも、傷ついていたのか・・・・・・)

  ・ファミリーのボスの娘として、人質として、ディーノに囚われて、自由のない人形でいることに。
  そして、ディーノに撃たれ、殺されることに      .

  (俺のせいなのか?! 俺のせいだったのか・・・?!! !!
   俺が君に、そんな顔をさせていたのか・・・!!!)

  風が吹き込んで、ディーノは項垂れていた顔を上げた。
  今日は天気が崩れるらしいと、ロマーリオが言っていたのを思い出し、ディーノは腰をあげた。
  雨が降り出す前に、開けたままになっていた窓を閉めようとして、ディーノは花の香りに気付いた。
  湿度を増した空気が、庭の花の香りをディーノの部屋まで運んできたのだろう。

  (・・・この香り・・・・・・?!)
  不意に記憶の底から浮かんできたイメージに、ディーノは立ち竦んだ。

  木漏れ日、花の香りが溢れる庭の木の下、不器用に編まれた花の冠、キラキラ光るビーズの指輪      .











  「えっと・・・病める、ときも・・・・・・・なんだったっけ?」
  「もういい、ディーノ!! そんな呪文、いらない!!」
  「でも・・・これ、言うってが・・・」
  「いいの!! ディーノはディーノの言葉で言えばいいの!!」
  「ごめん・・・・・・」
  「ディーノはディーノなんだから、謝らなくていいのに!!」
  「う・・・でも・・・・・・」
  「・・・ディーノは、私と一緒にいるの、嫌?」
  「ううん!! 俺、といるの好きだ!! と遊んだり、話したりするの楽しいし!!」
  「!! じゃぁ・・・私といるのが嫌になるまでは、一緒にいてくれる?」
  「うん! もちろんだよ!! それに、俺が、のこと嫌になるわけないじゃんか!!」
  「!!! ディーノ・・・・・・!! だったら、ずっと一緒にいてもいいの?」
  「うん! だって、は俺の大事な友達だ!! ずっとずっと、一緒にいてくれよ!!」
  「!!!!! ありがとう、ディーノ・・・・・・でもね、そういうときは、女に友達って言っちゃ駄目なのよ?」
  「?」
  「でも、ディーノだし・・・・・・うん! 一緒にいられるなら、今はそれでいい!!」
  「??」
  「ふふ、ディーノ・・・私、ディーノのことだけ想うわ・・・ずっと、ずっと・・・・・・・・・
   ディーノが、私の曲だって言ってくれたあの曲、ちゃんと弾けるようになったら、一番に聴かせてあげる」
  「ホント?!」
  「ええ。約束するわ、ディーノ。もう少し練習したら、聴かせられると思うの」

  そう言って、花の冠を被った少女は、ディーノの指にキラキラ光る指輪を嵌めて、柔らかく微笑んでいた。






  (俺は・・・俺は、にまた笑って欲しかっただけなんだ・・・・・・あの日のような笑顔を・・・・・・!!!)

  再会してからのは、いつもどこか悲しそうに微笑むだけで。それが、ディーノは嫌だった。
  そんな悲しそうな笑顔じゃなくて、昔あの庭でが見せた笑顔が見たかった。
  なのに、ディーノは、そんな些細なことさえ出来ない。のために、何も出来ない      .

  「くそっ・・・・・・俺は、どうして・・・・・・!!」
  「ボス!!」
  ノックもなく開けられた扉に、ディーノは我に返った。

  慌てた様子でロマーリオがディーノの部屋に駆け込んで来た。
  「・・・どうした?」
  珍しく慌てた様子のロマーリオに、ディーノは訝しげに眉を寄せた。

  いつも冷静な男だ。敵対するファミリーが突然抗争をしかけても、こんな顔はしないだろう。

  「大変だ、ボス・・・・・・彼女が、がいなくなった! 屋敷のどこにもいない!!」

  一瞬、ディーノは息を呑んだ。
  だが、すぐに冷静なキャバッローネ・ファミリーの10代目ボスの顔を取り繕う。
  「・・・アイツはもうじゃないし・・・閉じ込めてたわけでもない。
   いなくなった       だから何だ? 別に構わないだろう?
   出て行く気になったんなら、俺が口を挟むことじゃ      

  「いい加減にしやがれ!!!」
  「!!?」

  ロマーリオの怒声に、ディーノは息を呑んだ。
  眼鏡の奥の真剣な瞳が、ディーノを見据えている。

  「ボスが彼女のことを大切に想ってるのは、分かりきってる! 彼女も同じだ。ボスのことを、大切に想ってる。
   なのに、互いに勝手にゴチャゴチャ悩んで!! いい加減、素直に、自分の心に正直になればいいだろうが!!!」
  「・・・だけど・・・・・・」
  「腹決められねぇなら、あのときみたいに俺が一発ぶん殴ってもいいんだぜ?」

  ディーノが10代目を継がずに、ロマーリオにファミリーを任せると言った遠いあの日のことを匂わせる。
  あの日、去ろうとするディーノを引き止めたのは、ロマーリオの容赦ない拳と、仲間の熱い想いだった。
  そしてディーノは誓ったのだ。
  弱くて頼りない、泣き虫だったディーノは覚悟を決めたのだ。

  もう逃げないと       ファミリーからも、ボスという重圧からも、運命からも!!!
  大切なものを、もう二度と失わないために!!! 守りきるために      !!!!!

  「ロマーリオ、後は頼む!!!」
  「おぅ! 任せとけ、ボス!!」
  部屋を飛び出していくディーノの背中に、ロマーリオは力強く頷いた。

  !!! 頼む!!
   俺は、もう、を失うのは嫌なんだ!!!)

  屋敷にいないのなら       ディーノは雨の降り出した外に目を向けた。

        私、ディーノのことだけ想うわ・・・ずっと、ずっと      .

       !!!?)
  そう交わした、あの庭はどこだった?
  そう交わした、あの木はなんだった?
  (俺は、もう二度と間違わない! 絶対に!
   !! 俺は君を失いたくない!!!
   俺には君が必要なんだ      !!!)

  「!!」

  ディーノは、雨の降る外へと飛び出していった。





















  時は少しだけ遡る。
  まだ雨が降り出す前、ディーノがの不在を知る、少しだけ前。

  「俺の可愛い子猫ちゃん♪ 主治医が様子見に来てあげちゃったよ〜〜〜」
  扉を開けて入ってきた人物に、は目を丸くした。

  「調子はどう? どこか痛いとこない? もし、あっても大丈夫。オジサンが責任取っちゃうから」

  「・・・主治医?」
  「そう! 君の主治医。むしろ、君だけの主治医になっちゃってもいいけど!」

  首を傾げるの肩に馴れ馴れしく手を置いて、医者を名乗る男は甘い微笑を浮かべてみせた。
  白衣を着た姿は、医者に見えなくもない。だが、如何せんノリが軽すぎる。

  戸惑うに、男はウィンクをしてみせる。
  「俺は、Dr.シャマル。これでもこの世界では名の知れた闇医者なんだぜ?!」

  「もしかして・・・あなたが、私を助けた人・・・?」
  「お!? な〜んだ、知ってんじゃん。そ、撃たれた君の手術をしたの、俺なわけ」

  得意気に言ったシャマルに、は困ったように瞳を伏せた。
  そんなの様子を見逃すシャマルではない。
  「ん? どうしたよ?」
  すかさず、の肩に手を置いたまま、その顔を覗きこんだ。
  「なんかあったのかい? オジサンに相談してくれよ?」

  「どうして・・・・・・」
  「ん?」
  「どうして、助けたんです? 私、生きてちゃいけなかったのに・・・!!」

  の言葉に、アゴの無精ひげを一撫でして、男はにっこりと笑顔を向けた。
  「とりあえず、散歩でもいかないかい?」

  「散歩って・・・あなた、私の言葉が分からなかったの?! 私は      
  「ずっと部屋に籠もってたら、そりゃぁ塞ぎこむわな・・・それとも、君はここに閉じ込められているのかい?」

  「      違うわ・・・私が、勝手にここにいるのよ」
  「なら、問題ない!! ちょっと庭を回るだけさ。さぁ、行こうか? 子猫ちゃん♪」

  シャマルに促されて、は渋々腰を上げた。
  (あの扉の『外』になんて、出られるはずない・・・・・・きっと、また気分が悪くなるに決まってる・・・・・・)
  以前、扉から『外』へ出ようとしたら、酷い頭痛と眩暈に襲われた。だから、きっと今回も      .

  「せっかくだから、近道しようぜ?」
  「え・・・       きゃっ?!!」
  扉に向かって歩いていたの体をサッと掬い上げて、シャマルは踵を返した。

  「ちょっと!? あなた、いったい何を?!」
  「囚われのお姫様を救い出す、これがお約束だろ?」
  呟いてウィンクするシャマルに、悪びれた様子はない。
  「降ろして!! あなたの悪ふざけに付きあ       きゃぁ!!!」

  文句をは最後まで言うことが出来なかった。思わず自分を抱える男に、ギュッとしがみ付いていた。

  「お姫様、騎士候の私めがお救い致しますよ!」
  「・・・・・・・・・もぅ・・・」
  屈託なく向けられた笑顔に、も呆れたように表情を緩めた。

  シャマルの肩越しに、先ほどまで自分がいた部屋の窓を見上げる。
  開け放たれた窓に、レースのカーテンが大きく揺れている。

  を抱えて2階の窓から軽々飛び降りて見せた男は、少年のような瞳で笑いかける。
  「怪我はないかい? 子猫ちゃ・・・・・・おっと。間違えた。お姫様♪」
  ウィンクをしながら、口元を緩めて屈託なく向けられた笑顔に、も自然と笑顔を浮かべていた。
  何かを考える前に、向けられた笑顔に相応しい微笑を、その顔に浮かべていた。











  風が出てきた。
  きっと、天気が崩れるのだろう。
  庭をゆっくりとシャマルと歩きながら、は空を見上げた。

  シャマルの話は面白かった。
  退屈させない話題の豊富さも、慣れた話口も、とても自分を楽しませた。だけど      .

  「なぁ、ちゃん。君は今、幸せかい?」

  口調とは裏腹に、真摯に響いたその問いに、はシャマルを振り返った。
  「幸せかどうかなんて、分からないわ。だって、私、今以外を覚えていないんですもの」
  「そりゃぁ、そうか」
  「でも      

  風が吹いて、の髪を波立たせて通り抜けていく。

  「      幸せだと思うわ。彼さえいれば      
  「そうかい」

  はうっすらと笑みを浮かべた。
  「シャマルさん、一つ言わせて。あなたは私の命を繋ぎとめたけど、本当は私、死んでなきゃいけなかったのよ?」
  「美しい女性の命を見捨てられない性分なものでね・・・」
  「そのせいで、彼は傷ついたわ・・・あんなに優しい人なのに、もう一度、私を殺さなきゃいけないなんて・・・・・・」
  シャマルは小さく肩を竦めた。
  「殺さなきゃいけない理由がないかもしれないぜ?」
  「いいえ・・・私が生きていることは、彼にとって重荷でしかないわ。彼の名前さえ、私は思い出せないんだから・・・・・・」

  「その名前は、ちゃんが既に知ってるよ。ただ、心の一番奥に仕舞い込んじまっただけさ」
  「ええ。そうなんでしょうね。きっと      

  通り抜けた風に、はハッと振り返った。何か、とても懐かしい気配を感じた。

  「ちゃん?」

  この先に、以前の、記憶を失う前の自分がいるような気がした。

  「ちゃん!?」

  シャマルの声も振り切って、は降り出した雨粒を弾きながら、その気配の元へと走り出した。





















 アトガキ
  次でラストです。
  あの日の自分を取り戻すために・・・・・・

Photo by 空色地図

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