「どうして!!どうして、あんたが、あの男と一緒にいるんだ!!!?」
そんな悲鳴を聞いたのは、一度や二度じゃない。
「あんたの父親だって、あいつに殺されたんだろっ?!!」
その通りだ。私の父は、ファミリーは、彼に皆、殺された。
「あの男は、俺のオヤジを殺したんだ!!なんで、そんなやつと一緒にいる!!!?」
詰め寄られることだって、珍しくない。
「裏切り者め!!あの男とともに殺してやる!!!」
一瞬でも、それでもいいと、そう思うアタシは、やっぱり裏切り者なのだろう。
「許したのか!!?あの男を、さんは、許せるのかっ?!!!」
アタシは、ランチアを許したのだろうか?
許したい。 許せない。 許されない。
だから、アタシはきっとランチアから離れられない。
「今日は、どこへ?」
「モンテロのところだ」
「そう・・・わかった」
そう言って、は手を振った。
「・・・・・・どうした?」
いつもなら、一緒にいくのが当然という顔をしてついてくるが、今日に限って席を立とうとしなかった。
訝しげに尋ねたランチアを、が鼻で笑ってみせた。
「なに?アタシについてきて欲しいわけ?」
「・・・いや、行ってくる」
「勝手に行って。別に、ここに戻ってくる義理だって、ないんだから」
テーブルに肘をつき億劫そうに言ったから視線を外し、ランチアは扉へと向った。
「・・・・・・すまない・・・行ってくる」
そう言った言葉に対して、背中にかけられる声はなく、ランチアは後ろ手に扉を閉めた。
扉が閉まる音で、はっと顔を上げた。
すでにランチアの姿はない。
は、重たい頭を押さえて溜息を吐いた。
瞬間的に意識を失っていたらしい。
立ち上がろうとして、くらりと眩暈がした。
(・・・本格的に、風邪をひいたわね・・・・・・)
元々それほど体調が良くなかったのに、雨に濡れたりしたから。ここ最近寒暖の差が激しかったことも、追い討ちをかけたのだろう。
測ってないが、熱があるのは間違いないだろう。食欲はまるで湧かないし、だるくて動く気力もない。
さすがに今日は、ランチアについて行くのは無理だった。そう判断してから、不安で、仕方なかった。
ついて行かなかったら、ランチアから目を離してしまったら、もう二度と会えないような、そんな不安が、彼と再会してからずっと胸の中に居座り続けている。
だから、自分がこれ以上傷つかないよう、予防線を張った。
戻ってくる義理なんて、ないでしょ?戻ってこなくて、いい・・・きっと、戻ってこない .
ランチアより先に、その事実を突きつけられる前に、自分で自分にその事実を言い聞かせる。そうして、その事実に直面する前に、自分自身に耐性を整えておく。
いつの間にか、そんな習性が身についた。それはきっと、自分で分かっているから。これ以上傷ついたら、きっともう立ち直れない .
背筋を這い上がった寒気に、壁を這うようにして寝室へと転がり込む。
(大丈夫、大丈夫・・・・・・風邪なんて、眠れば治る・・・眠れば、気のせい、風邪なんて、気のせい・・・だから、大丈夫・・・)
唱えながら、毛布を顔まで引き上げて、ベッドへ倒れこんだ。
霞んでいく視界は、熱のせいか、それとも別の何かのせいか はギュッと目を瞑った。
閉ざされた視界に、の意識はすぐに溶けていった。
それは夢だと、すぐに分かった。
(・・・・・・だって、こんなところにランチアがいるはずがないもの・・・)
ひんやりとした彼の手が触れている額から、の中で膨らんでいた不安が、熱と一緒に大気へ溶けていくのが見えた。
(・・・・・・気持ちいい・・・・・・)
ランチアの幻をぼんやりと見つめながら、の口元が思わず緩んだ。
(・・・夢、なら・・・幻なら、許しても、いいよね・・・・・・?)
ランチアの幻が、驚いたように身を引いた。
(あ・・・・・・行かないで・・・)
触れていた手が離れていく。それが悲しくて、は体を起こそうとした。ふらついた体を支えるように、再び腕が伸びてきて、はその手に体を預けた。
途切れそうになる夢に、必死で喰らいつく。夢なら、醒めてなんて欲しくなかった。もう少しだけ、この夢に甘えていたい。
口の中に、何か小さな塊が入ってきて、すぐにぬるい水が喉を滑り降りていく。
必死にしがみついた夢の中で、ランチアの口元が、微かに綻んだ。厳しかった顔が、少し困ったような優しいものに変わる。
(・・・・・・アタシの、大好きな、ランチア・・・・・・・)
昔、まだ父も、そのファミリーも健在だった頃、マフィアでもないくせに、皆の元に顔を出していたに、ランチアがよく見せた顔だった。まだ、とても、幸せな世界で生きていた頃の。
(あぁ・・・やっぱり、夢だ・・・・・・これは、アタシの、夢だ・・・・・・・まだ、醒めたくない・・・)
ぼんやりとした頭で、そう思う。
の願いが届いたように、夢は、最初を繰り返す。眠るの額に置かれるランチアの、ひんやりとした手。それが触れているところから、の中の悪いものが消えていく。
(・・・気持ちいい・・・・・・)
額に置かれた手とは別の、もう片方のランチアの手が、の顔のすぐ横にあった。そっと伸ばした手で、触れる。
(・・・・・・ランチアの、手・・・・・・)
無骨な、綺麗とは決して呼べない、けれど、大きくて、とても優しい、あの頃と同じ手だった。
ひんやりとした、その手はとても心地よくて。が触れた途端、逃げようとしたその手を捕まえて、握り締めた。
諦めたように軽く握り返してきたその手を自分の方へ引き寄せて、は目を閉じた。
体を丸めて、ランチアの手を握り締めて、体の底から息を吐く。
ここ暫く感じたことのない、安らかな睡魔がを誘う。その誘いに流されそうになるのを、必死に堪えて、夢にしがみつく。こんな幸せな夢を、逃がしたくなかった。まだ、眠りたくない。まだ、まだ .
眠れ .
囁かれた声に、抵抗をやめた。それ程、優しい音だった。
溶けていく意識の途中で、夢の狭間で、幻が歌う優しい音を聞いていた。
許されるとは、思っていない。許して欲しいとも、思っていない。ただ .
(に、幸せになって欲しい) .
意味をなくした音の世界で、囁かれる唄に抱かれて、はあたたかな光の中へ溶けていった。
差し込んでくる日差しが、すでに夕暮れが近いことを教えている。
体を起こせば、ふらつくこともなく、どこかぼんやりとしただるさは残っているものの、ベッドに潜り込む前に比べたら、どうってことのない程度で。
は、ぐっと伸びをした。
とても、幸せな夢を見ていたような気がした。
夢だから、目覚めて忘れてしまった。だけど、おぼろげに、涙が出るくらい幸せな夢だったような気がする。
今はもうこの世にいない、父やファミリーの仲間たちと、楽しく笑っていたような、そんな夢だったような気がした。
(大分、眠った・・・・・・ランチア?)
戻ってきているだろうか? 今日は、彼についていかなかった。
は、ゆっくりと部屋を出た。
ランチアは、戻っているだろうか? 無事でいるだろうか? 復讐に、殺されたりなんかしていないだろうか? まだ、この世にいてくれているだろうか?
恐る恐る覗き込んだ。そこに、ソファーに座る黒いスーツの背中があった。
足音を忍ばせて近寄って、思わずの顔が綻んだ。
ソファーに背を預けて、眠り込んでいるその姿に、ほっと安堵した。穏やかに上下する胸に、彼がまだちゃんと生きていることを教えてくれる。ソファーの上、無造作に投げ出されたその無骨な指が、とても愛おしく思える。
(ランチア・・・・・・ごめんなさい。許さなくても、アタシは、やっぱり、ランチアが好きだ・・・・・・)
首から下げた父の形見を握り締めた。
もう、無理だ。
死んだ父の、ファミリーの仲間たちの代わりに、ランチアを憎み続けるなんて。
ランチアを殺さない代わりに、彼に罪を背負わせ続けるなんて。
ランチアの罪を許さない代わりに、自分の彼への想いも許さないなんて。
もう、無理だ。
きっと、再会したときから、無理だったんだ。
(だって、アタシは、ずっと。ずっと、ランチアが好きだった・・・・・・)
溢れた涙が、父のリングに跳ねた。
(・・・困る・・・・・・・ランチアと再会してから、アタシ、随分、涙もろくなった・・・・・・)
父が死んで、ファミリーが壊滅して、ランチアと離れて、一人知らない土地で生きるうちに、いつの間にか、泣かなくなった。
なのに、今、その分を取り戻すかのように、涙が溢れてくる。
(・・・・・・ランチア・・・たとえ、あなたがアタシをどう思っていたとしても、アタシは、あなたに再会できて、よかった・・・)
「ごめんなさい、父さん・・・・・・」
ギュッと形見のリングを握り締める。
ぽろぽろと、ただただ溢れるまま涙を流し続けるうちに、傾きかけていた日差しは、すでに夕暮れを向え、徐々に室内が暗くなっていく。
唐突に、ピクリと動いたランチアの指に、はハッとして涙を拭った。
緩慢に持ち上がるランチアの瞼に、は慌てて背を向ける。
「・・・?」
逃げるように、蛇口を捻る。流れ出た水で乱暴に顔を擦ってから、溢れるほどの水をコップに注ぎ、喉の奥へ流し込んだ。
キュッと音を立てて蛇口を閉め、タオルに顔を埋めた。
「・・・・・・大丈夫か?」
「何が?」
顔を拭くフリをしながら、ランチアが座るソファーを横切る。いくら日が落ちかけているからって、どんなに懸命に顔を洗ったって、一目見られたら、きっとランチアに涙していたとバレてしまう。ランチアから見えない位置まで来て、はタオルを置いた。
背中越し、向けられるランチアの視線に、振り返らずに、声が変に掠れないように注意した。
「・・・ランチアこそ、そんなところで寝てたら、風邪をひくわよ」
背中を向けていたは気付かなかった。
の言葉に、ランチアの顔が少しだけ綻んだことに。
「・・・そうだな。気をつける」
そう言ったランチアの顔が、先ほどソファーに眠る彼を見つけたときにが浮かべた表情と、同じだったことに。
「・・・・・・・・・ええ。お願い」
そう言って、は部屋を出て行った。
の背中しか見えていなかったランチアは気付かなかった。
の首から下がったリングが夕日にキラリと反射したことに。
「・・・・・・ああ。分かった」
そう言ったランチアは、気づけなかった。
背けられたの頬で、溢れだした感情のカケラが、沈む直前の最後の太陽の輝きを反射したことに。
涙の色
アトガキ
Photo by 水没少女
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