ぼんやりと空を見上げた。
  吐き出した紫煙が、ゆっくりと昇っていく。
  その煙を見送って、は視線をランチアが消えた扉へ戻した。
  彼は、遺族への謝罪を続けている。
  今だって、きっと黙って恨み言を受け止めているに違いない。
  咥えていた煙草を指に挟んで、は再び空を見上げた。
  地面から足を浮かせれば、空が前後に揺れた。
  ゆっくりとブランコを漕ぎながら見上げるイタリアの空は、季節を反映して高く高く澄み切っている。
  (・・・・・・なんだか、久しぶりに、空が青い・・・・・・)
  ゆっくりと揺れながら、そう思った。
  ずっと認められなかった。
  にとってランチアは、父を、ファミリーを殺した、憎まなければいけない仇だから      昔と同じように、彼に惹かれてしまう自分自身を、どうしても認められなかった。
  それでも、もう自分自身を騙し続けるのは限界だった。
  認めるしかない。
  自分は、ランチアが好きなのだ。
  ファミリーの仇であっても、父の仇だとしても、はランチアが好きなのだ。
  死んでいった彼らが、許してくれる筈がないことは分かっている。
  残された遺族たちに、理解してもらえる筈がないことも分かっている。
  (・・・・・・重症ね・・・・・・)
  がランチアと行動を共にしているのは、彼が憎くて、殺してやりたくて、信じられなくて、その行動を見張るためで、隙があれば仇をとるためで      そんな言い訳することに疲れた。
  本当の理由は、とても簡単なことで。
  もう二度と、ランチアと離れたくないからだ。
  わけもわからないまま、一人国外へ放り出されるなんて、二度と御免だからだ。
  ただ、ランチアと一緒にいたいからだ。
  (・・・・・・でも、それはアタシだけの想い・・・・・・)
  ランチアにしてみれば、は、自分が殺したファミリーの遺族の一人でしかない。
  操られていたランチアに、背負った罪の重さを突きつける象徴に過ぎない。
  顔も見たくない、声さえ聴きたくない、きっとそんな存在でしかない。
  (・・・・・・馬鹿ね、アタシは・・・・・・)
  自嘲の笑みを浮かべて、は煙草を咥えた。
  どうしようもない。
  ランチアを好きになったって、何も祝福されない。誰も救われない。
  「・・・ほんと、馬鹿ね・・・・・・」
  声に出して呟いてみた。
  紫煙と一緒に空へ昇っていったそれに、はもう一度自嘲気味に笑った。
  深く一礼して、ランチアが扉から姿を現すのが見えた。
  煙草を消して、ささやかな笑みも消して、はブランコから立ち上がった。





















  「ランチア」
  かけられた声に、足を止めた。
  挑むようなの視線に、ランチアは首を振った。
  「そう・・・」
  「だが、墓を参ろうと思う。この先の墓地だ」
  言って歩き出すランチアの後ろを、それがあたり前のように、がついてくる。
  風が吹いて、微かに、の吸うメンソールの煙草の匂いがした。
  (・・・・・・どういうつもりだ・・・・・・)
  後ろからついてくるの気配を感じながら、ランチアは戸惑う。
  ランチアの行動を監視するかのように、の視線を感じる。
  信用されているとは思っていない。
  許されるとは思ってすらいない。
  ランチアは、骸によって操られていたとはいえ、の父を、そしてそのファミリーの仲間たちを殺した。
  に怨まれて当然だと分かっているし、むしろ、彼女が復讐に自分を殺そうとするなら、逆らわずに受け入れようと考えている。
  骸の術から解放され、一番にの元へ赴いたのは、まず最初に彼女に謝罪しなければならないと思ったからだ。
  復讐の権利を、まずはに渡さなければならないと思ったからだ。
  (・・・・・・贖罪など、望んでない・・・・・・)
  それなのに、彼女はランチアを殺さずに、こうして監視するように行動を共にするようになった。
  差し出した銃をは受け取りもしなかった。だが、けっして許したわけではないはずだ。
  いつか仇を討つために、復讐を遂げるために、ランチアに銃を向けるだろう。
  いや、自らは手を下さずに、ランチアの無残な死に様を見届けるつもりなのかもしれない。
  (・・・それなのに・・・・・・どういうつもりなんだ、俺は・・・!?)
  ランチアは葛藤を繰り返す。
  頭を自ら壁に叩きつけてしまいたい衝動に襲われる。
  の姿が見えないと恐ろしくなる。の身に、何かあったのではないかと心がざわめく。
  がいないと不安になる。もう二度と、に会えないのではないかと恐怖に震える。
  (・・・・・・そんなこと、俺が思って許されることではないのに・・・・・・)
  は、自分が殺したボスの娘だ。
  の世界を一変させたのは、ランチアだ。
  以前は吸わなかった煙草を手にするほど、を変えたのはランチアの裏切りだ。
  の幸せを願っても、そのためにランチアが彼女に出来ることは、何もないはずだ。
  仇をとる、復讐を遂げさせる、それしかないはずだ。
  「・・・それなのに、俺は・・・・・・」
  「何か言った?」
  「いや・・・・・・もう少しだ」
  の問いにそう返して、ランチアは足を速めた。
  再び風が吹いて、淡くメンソールの香りがランチアに届いた。





















  墓前で深く深く頭を垂れる。
  (・・・・・・・・・Dorma pacatamente; un ex-amico・・・・・・)        安らかに眠れ、旧友よ     .
  許してくれとは言えない。
  許してもらえるとは思っていない。
  だから、ランチアは、いつも祈りの言葉だけを捧げる。それしか、自分に出来ることはない。
  出来ることなら、恨み言の一つでも聞いてやりたいが、それも今となっては難しい。
  (・・・Non il cielo, io saro reprobacy・・・・・・)        天国ではなく、俺の行き先は地獄だろうから     .
  風が吹いて、傍らに生えているタッソの枝が揺れる。
  ふと、ランチアは振り返った。
  木々のざわめきの中に、微かに囁きを聴いたように思ったからだ。
  膝を折ったランチアの後ろで、が瞳を閉じて、頭を垂れていた。
  その表情に、ランチアは驚いた。
  とても、辛そうだった。
  まるで、自らが罪人であるかのように、贖罪を求めるかのように、ギュッと眉を寄せたその顔に、悲しみだけではない、深い懺悔を見つけてしまった。
  ハッとして、ランチアは視線を戻した。何か、見てはいけないものを見てしまったような気がしたからだ。
  (・・・・・・・・・・・・?)
  何故、がそんな顔をする必要があるのだろう?
  再び墓前に向き直っても、ランチアの心は、後ろに立つに向いていた。
  再び風が吹いて、タッソの枝がざわめいた。
  「・・・ごめんなさい・・・許してとは言わない。そんなこと、言えない・・・・・・・・・」
  先ほどよりも風が弱かったのか、それは確かな言葉として、ランチアの耳に届いた。
  (・・・?!)
  聴こえた言葉に、ランチアは驚愕した。微かに聴こえたそれが、幻聴であることを疑った。
  何故が謝罪の言葉を口にするのか、分からなかった。
  それは、ランチアの言葉だ。
  ランチアが口にするべき言葉だ。
  それは、ランチアの想いだ。
  ランチアが胸に抱き続けている想いだ。
  何故、がそんな言葉を口にするのか     いや、の声に聴こえただけで、本当はランチアの心の声だったのかもしれない。
  ・・・いったい・・・・・・)
  体を起こして振り向いたランチアの後ろで、は煙草を取り出すところだった。
  一本抜き出して、口に咥えて、火を点す。
  そこに、先ほどの表情はなく、先の言葉を口にした余韻も感じられなかった。
  (・・・・・・・・・気のせい、だったのか・・・?)
  そう思うほうが、どんなに納得がいったか。
  困惑するランチアに目を向けることなく、一息煙を吐き出して、は煙草を墓前に立てかけた。
  「・・・・・・メンソールは、キライだったっけ・・・でも、それで勘弁してよ」
  それだけ言って、は墓に背を向けた。
  離れていくの後姿を見つめて、ランチアは先ほどの言葉は、確かにの口から漏れたのだと確信した。
  (・・・・・・・・・お前の贖罪は、何に対してなんだ・・・?!)
  ランチアは、再び墓に目を落とした。
  の置いていった煙草が、細い煙を伸ばしている。
  ボスの、の父親の古くからの友人であり、相談役としてファミリーを支えた男性の墓だ。
  何よりも忠誠を貫き、ボスの信頼を得、ファミリーを支える柱の一つとなり、そして最後はランチアに殺された男の墓だ。
  大の煙草好きで、肺ガンで死ぬのが夢だと笑って言っていた、ランチアにとって尊敬できる人物の墓だ。
  そんな人物に、は何を謝ったのだろう     ランチアは、苦笑を浮かべた。
  (・・・そんなこと、分かりきっているじゃないか・・・・・・)
  未だに、仇を討てていないことだ。
  未だに、ランチアを生かしていることだ。
  それしかない。
  それ以外に、なにもない。
  (・・・・・・俺はいつでも、その裁きを喜んで受け入れる・・・)
  煙草の灰が落ちて、強くメンソールの香りが立ち上った。
  ランチアは、もう一度、深く深く墓前に頭を垂れた。











片影











 アトガキ
  タッソの木=いちいの木 だそうです。イタリアやヨーロッパの方では、よく墓地に植えられてるそうです。(豆知識でした)
  希望など、ない。あるのは、背負った咎だけ・・・

Photo by 水没少女

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